有名度
前頭古四王神社
こしおうじんじゃ
山形県鶴岡市五十川字鳶ケ坂3
山形県鶴岡市五十川字鳶ケ坂3

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
古四王神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
勝負運 五穀豊穣
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「古四王系」
です。他に 「香取系」
「不明(1柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
古四王神社は山形県鶴岡市に鎮座する神社。御祭神は大彦命、武甕槌命、經津主命、斎主命の4柱をまつる。
社格は旧村社。
古四王神社の創建については、崇神天皇の時代に大彦命が五十川へ漂着したという伝承が残る。崇神天皇10年、四道将軍の一人として北陸道へ派遣された大彦命は、海路を北上する途中で大時化に遭い、五十川の浜へ漂着したとされる。大彦命は当地に滞在し、村人に農業や製塩などを伝えたのち、再び北方へ向かったという。
大彦命が五十川を離れる際には、当時11戸であった村人が浜辺に集まり、惜別の宴を開いたと伝えられている。その後、村人たちは一社を建立して大彦命をまつったとされ、これが古四王神社の創建伝承となっている。
1087年(寛治元年)には、後三年の役から帰る途中の源義家が五十川を通ったという伝承がある。坂の上に敵が潜んでいた際、一羽の鳶が空高く舞い、義家は敵を攻めたとされる。その後、この坂は鳶ケ坂と名付けられ、義家は古四王神社の境内に八幡宮を建立したと伝えられている。
江戸時代には、大蔵坊が信者の協力を得て鳶ケ坂の道路を開削し、戦死者の霊を弔うため坂の麓に馬頭観音をまつった。また、鳶ケ坂には蔵王権現もまつられ、のちに御嶽神社となった。
1745年(延享2年)には古四王権現堂が造替された。明治時代に入った1876年(明治9年)には村社に列し、1908年(明治41年)には山ノ神、矢除神、御嶽神社が合併された。
古四王神社はもともと現在の鳶ケ坂ではなく、五十川村字濱千鳥に鎮座していた。1880年(明治13年)の神社明細帳には、社殿は桁行6間、梁行3間、境内は3505坪、氏子は90戸と記録され、境内には皇大神社、住吉神社、八幡神社がまつられていた。
大正時代に羽越線の敷設が進むと、古四王神社は鳶ケ坂へ移転した。『鶴岡西田川神社誌』では、1922年(大正11年)、羽越線敷設による参道の切断や境内の山崩れなどのため、社殿を現在地へ移転改築したとする。神社明細帳には1923年(大正12年)11月26日付で、古四王神社を鳶ケ坂の御嶽神社に合併して同地へ移転し、古四王神社と称することが許可された記録が残る。『温海町史』では1924年(大正13年)の移転としており、移転年は資料によって異なる。
『温海町史』には本殿3坪3、幣殿15坪、拝殿18坪6、氏子184戸と記録されている。現在の境内は五十川集落の鳶ケ坂にあり、石段を上った先に石鳥居と社殿が建つ。鳥居には「古四王大神」、社殿には「古四王神社」の社額が掲げられている。
5月5日には古四王神社浜入祭が行われる。大彦命が五十川を去った際の伝承を伝える祭りで、赤い装束を着た若者たちが神輿を担いで地区内を巡る。浜辺近くでは獅子舞が行われ、獅子を大彦命に見立てて初穂や菓子を捧げる。大彦命を見送った村人が11戸だったとの伝承により、祭壇には11台の供物を供える習わしが伝えられている。
社格は旧村社。
古四王神社の創建については、崇神天皇の時代に大彦命が五十川へ漂着したという伝承が残る。崇神天皇10年、四道将軍の一人として北陸道へ派遣された大彦命は、海路を北上する途中で大時化に遭い、五十川の浜へ漂着したとされる。大彦命は当地に滞在し、村人に農業や製塩などを伝えたのち、再び北方へ向かったという。
大彦命が五十川を離れる際には、当時11戸であった村人が浜辺に集まり、惜別の宴を開いたと伝えられている。その後、村人たちは一社を建立して大彦命をまつったとされ、これが古四王神社の創建伝承となっている。
1087年(寛治元年)には、後三年の役から帰る途中の源義家が五十川を通ったという伝承がある。坂の上に敵が潜んでいた際、一羽の鳶が空高く舞い、義家は敵を攻めたとされる。その後、この坂は鳶ケ坂と名付けられ、義家は古四王神社の境内に八幡宮を建立したと伝えられている。
江戸時代には、大蔵坊が信者の協力を得て鳶ケ坂の道路を開削し、戦死者の霊を弔うため坂の麓に馬頭観音をまつった。また、鳶ケ坂には蔵王権現もまつられ、のちに御嶽神社となった。
1745年(延享2年)には古四王権現堂が造替された。明治時代に入った1876年(明治9年)には村社に列し、1908年(明治41年)には山ノ神、矢除神、御嶽神社が合併された。
古四王神社はもともと現在の鳶ケ坂ではなく、五十川村字濱千鳥に鎮座していた。1880年(明治13年)の神社明細帳には、社殿は桁行6間、梁行3間、境内は3505坪、氏子は90戸と記録され、境内には皇大神社、住吉神社、八幡神社がまつられていた。
大正時代に羽越線の敷設が進むと、古四王神社は鳶ケ坂へ移転した。『鶴岡西田川神社誌』では、1922年(大正11年)、羽越線敷設による参道の切断や境内の山崩れなどのため、社殿を現在地へ移転改築したとする。神社明細帳には1923年(大正12年)11月26日付で、古四王神社を鳶ケ坂の御嶽神社に合併して同地へ移転し、古四王神社と称することが許可された記録が残る。『温海町史』では1924年(大正13年)の移転としており、移転年は資料によって異なる。
『温海町史』には本殿3坪3、幣殿15坪、拝殿18坪6、氏子184戸と記録されている。現在の境内は五十川集落の鳶ケ坂にあり、石段を上った先に石鳥居と社殿が建つ。鳥居には「古四王大神」、社殿には「古四王神社」の社額が掲げられている。
5月5日には古四王神社浜入祭が行われる。大彦命が五十川を去った際の伝承を伝える祭りで、赤い装束を着た若者たちが神輿を担いで地区内を巡る。浜辺近くでは獅子舞が行われ、獅子を大彦命に見立てて初穂や菓子を捧げる。大彦命を見送った村人が11戸だったとの伝承により、祭壇には11台の供物を供える習わしが伝えられている。
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神社詳細
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出典
山形県神社庁
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/
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