有名度
前頭六椹八幡宮
むつくぬぎはちまんぐう
山形県山形市鉄砲町1-3-5
山形県山形市鉄砲町1-3-5

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
六椹八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
六椹八幡宮は山形県山形市に鎮座する神社。御祭神は品陀別命、玉依姫命、息長帯比賣命の3柱をまつる。
社格は旧県社。
六椹八幡宮の創建は天平年間(729~749)と伝えられ、奈良時代に陸奥国の経営に携わった大野東人が八幡宮を勧請したとされる。
平安時代中期には、前九年の役にまつわる源頼義の伝承が残る。源頼義が当地を訪れて土地の人に地名を尋ねたところ、椹の大木が6本あったため、古くから「六椹」と呼ばれていると答えたという。頼義は「六椹」の名を「陸奥の苦を抜く」に通じるものとして、六椹八幡宮で戦勝を祈願したと伝えられている。
前九年の役は康平5年(1062)、安倍氏の滅亡によって終結した。六椹八幡宮には、戦いを終えた源頼義が絹黒地金泥日章旗1旒を奉納したとの伝承も残されている。
南北朝時代の延文元年(1356)には、斯波兼頼が山形へ入部した。後の最上氏につながる斯波兼頼は山形に拠点を置き、六椹八幡宮の社殿を再建したと伝えられる。その後も歴代の山形城主から崇敬を受けた。
江戸時代に入ると、六椹八幡宮が鎮座する鉄砲町は山形城下の南端に位置した。鉄砲町には山形城下南辺の守備を担う鉄砲衆が集住し、六椹八幡宮は町のほぼ中央部に鎮座していた。
寛永7年(1630)には、山形藩主の鳥居忠恒が社殿を修復した。鳥居忠恒は元和8年(1622)、最上氏の改易後に山形へ入封した鳥居忠政の嫡男で、寛永5年(1628)に家督を継いで山形藩主となっていた。
江戸時代の山形城下では、六椹八幡宮が城下南部、鳥海月山両所宮が城下北部の鎮守となった。六椹八幡宮の氏子区域は十日町以南に広がり、鉄砲町をはじめとする城下南部の人々から崇敬を受けた。
境内には、寛永7年(1630)に鳥居忠恒が修復したと伝えられる社殿が残る。山形市の文化財保存活用地域計画にも、六椹八幡宮の建造物が市内の歴史的建造物として掲載されている。
境内にはケヤキなどの高木が茂り、山形市街地に鎮守の森を残している。「六椹」は「むつくぬぎ」と読む。「椹」は一般に「さわら」と読む字だが、山形市には椹沢(くぬぎざわ)、山形県朝日町には椹平(くぬぎだいら)という同じ「くぬぎ」の読みを用いる地名が残る。
例大祭は毎年9月15日に行われ、氏青神輿会による神輿渡御が行われる。六椹八幡宮の神輿渡御は、山形城下で受け継がれてきた祭礼の一つである。
社格は旧県社。
六椹八幡宮の創建は天平年間(729~749)と伝えられ、奈良時代に陸奥国の経営に携わった大野東人が八幡宮を勧請したとされる。
平安時代中期には、前九年の役にまつわる源頼義の伝承が残る。源頼義が当地を訪れて土地の人に地名を尋ねたところ、椹の大木が6本あったため、古くから「六椹」と呼ばれていると答えたという。頼義は「六椹」の名を「陸奥の苦を抜く」に通じるものとして、六椹八幡宮で戦勝を祈願したと伝えられている。
前九年の役は康平5年(1062)、安倍氏の滅亡によって終結した。六椹八幡宮には、戦いを終えた源頼義が絹黒地金泥日章旗1旒を奉納したとの伝承も残されている。
南北朝時代の延文元年(1356)には、斯波兼頼が山形へ入部した。後の最上氏につながる斯波兼頼は山形に拠点を置き、六椹八幡宮の社殿を再建したと伝えられる。その後も歴代の山形城主から崇敬を受けた。
江戸時代に入ると、六椹八幡宮が鎮座する鉄砲町は山形城下の南端に位置した。鉄砲町には山形城下南辺の守備を担う鉄砲衆が集住し、六椹八幡宮は町のほぼ中央部に鎮座していた。
寛永7年(1630)には、山形藩主の鳥居忠恒が社殿を修復した。鳥居忠恒は元和8年(1622)、最上氏の改易後に山形へ入封した鳥居忠政の嫡男で、寛永5年(1628)に家督を継いで山形藩主となっていた。
江戸時代の山形城下では、六椹八幡宮が城下南部、鳥海月山両所宮が城下北部の鎮守となった。六椹八幡宮の氏子区域は十日町以南に広がり、鉄砲町をはじめとする城下南部の人々から崇敬を受けた。
境内には、寛永7年(1630)に鳥居忠恒が修復したと伝えられる社殿が残る。山形市の文化財保存活用地域計画にも、六椹八幡宮の建造物が市内の歴史的建造物として掲載されている。
境内にはケヤキなどの高木が茂り、山形市街地に鎮守の森を残している。「六椹」は「むつくぬぎ」と読む。「椹」は一般に「さわら」と読む字だが、山形市には椹沢(くぬぎざわ)、山形県朝日町には椹平(くぬぎだいら)という同じ「くぬぎ」の読みを用いる地名が残る。
例大祭は毎年9月15日に行われ、氏青神輿会による神輿渡御が行われる。六椹八幡宮の神輿渡御は、山形城下で受け継がれてきた祭礼の一つである。
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出典
山形県神社庁
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/
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