鶴ヶ峰八幡神社 - 神社ファン

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鶴ヶ峰八幡神社

つるがみねはちまんじんじゃ

宮城県黒川郡大和町宮床字赤坂73

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宮城県黒川郡大和町宮床字赤坂73

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
鶴ヶ峰八幡神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

鶴ヶ峰八幡神社は宮城県黒川郡大和町に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫の3柱をまつる。
社格は式内社(論社)。
創祀年代は明らかでない。寛文3年(1663)の火災で古縁起などを焼失した。『奥羽観蹟聞老志』や『封内名蹟志』には、推古天皇6年(598)に一宮波神と賀茂三社を合祭したとの記録がある。また、長徳元年(995)に宮内少輔が京都から賀茂明神の御幣を受け、鶴ヶ峯に勧請して宮中大明神として祀ったとの伝承も残る。
その後、鴇田淡路実清が斯波宮内大輔氏直の家臣となり、信濃国から諏訪明神を勧請して宮中八幡に祀ったと伝えられる。鴇田氏は諏訪明神に、正和4年(1315)に備前景光が作ったとされる神剣「怒撃丸」を奉納した。
江戸時代には仙台藩主や宮床領主の崇敬を受け、元和7年(1621)2月に伊達政宗が社参した。宝永元年(1704)8月25日には仙台藩主伊達吉村が社参し、「一ノ宮」の社号を「宮中」へ改めた。同年10月には吉村が社領3貫文を寄進し、正徳4年(1714)には別当領として500文が寄進された。伊達忠宗や伊達吉村ら仙台藩主、宮床領主田手氏による参詣や奉納、社殿修営も行われた。
享保15年(1730)、伊達吉村によって八幡宮の社殿が新造され、八幡宮が本社となった。この時、賀茂神のほか、鴇田伊豆国種が建立したと伝えられる諏訪社、稲荷社、愛宕社、白山社が末社とされた。延享元年(1744)6月には仙台藩主伊達宗村が社参した。
安永3年(1774)の記録には、本殿が長さ9尺3寸、横9尺、拝殿が長さ1丈2尺6寸、横9尺4寸5分、長床が長さ7間、横2間半であったことが記されている。当時は羽黒派修験の鶴峯山正善院が別当を務めていた。
明治9年(1876)、山火事によって社殿が焼失し、その後再建された。現在の境内には拝殿、幣殿、本殿が建ち、鳴上賀茂明神宮や諏訪神社などの境内社が祀られている。
参道には杉並木が続き、自然石を積んだ石段が設けられている。例祭日は旧暦9月1日である。
  • 式内社(論社)
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/