有名度
前頭鹿島神社
かしまじんじゃ
宮城県栗原市築館字黒瀬後畑64
宮城県栗原市築館字黒瀬後畑64

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
鹿島神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
必勝祈願 五穀豊穣 国家守護
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「鹿島系」
です。他に 「香取系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
鹿島神社は宮城県栗原市に鎮座する神社。御祭神は武甕槌神、経津主神の2柱をまつる。
社格は式内社で、旧村社。
ただし、鹿島神社自体が式内社なのではなく、境内に奉斎される香取御児神社が式内社にあたる。
『安永風土記』では、第12代景行天皇の時代、奥州の夷賊を討つため、常陸国鹿島から神を勧請したと伝える。具体的な創祀年代や勧請者は明らかでない。
氏子の伝承では、鹿島神社は現在地の向かいにある茶臼館の山から遷座したとされる。茶臼館には黒瀬帯刀が居館を構えたと伝えられている。また、茶臼館から旧栗駒町上黒瀬へ移り、その後現在地へ遷座したとする伝承もある。
元和5年(1619)、本山派観音院が別当寺となる白鹿山神宮寺を開き、鹿島神社に奉仕した。
享保8年(1723)、本山派3世の千手院源光が境内に石碑を建立した。享保年間には社殿が火災に遭い、元文2年(1737)に再建された。当時の棟札が現在も残されている。
安永年間には村鎮守の鹿島神社として記録され、本山派観音院が別当を務めていた。相殿には『延喜式』神名帳に記載された香取御児神社が奉斎されていた。
文久4年(1864)には、村中安全を祈願した白鹿山の御札が作られ、現在も神社に残されている。
境内からは古墳時代の西暦200~600年頃とみられる祭祀用土器の台脚片や灯明皿土器が出土している。また、境内西側の「長者原」と呼ばれる一帯からは、平安時代の西暦1000年頃のものとされる外貨が多数出土している。
境内には享保8年(1723)建立の石碑や元文2年(1737)の社殿再建を伝える棟札が残る。相殿には式内社の香取御児神社を祀る。例祭は毎年9月19日に行われる。
社格は式内社で、旧村社。
ただし、鹿島神社自体が式内社なのではなく、境内に奉斎される香取御児神社が式内社にあたる。
『安永風土記』では、第12代景行天皇の時代、奥州の夷賊を討つため、常陸国鹿島から神を勧請したと伝える。具体的な創祀年代や勧請者は明らかでない。
氏子の伝承では、鹿島神社は現在地の向かいにある茶臼館の山から遷座したとされる。茶臼館には黒瀬帯刀が居館を構えたと伝えられている。また、茶臼館から旧栗駒町上黒瀬へ移り、その後現在地へ遷座したとする伝承もある。
元和5年(1619)、本山派観音院が別当寺となる白鹿山神宮寺を開き、鹿島神社に奉仕した。
享保8年(1723)、本山派3世の千手院源光が境内に石碑を建立した。享保年間には社殿が火災に遭い、元文2年(1737)に再建された。当時の棟札が現在も残されている。
安永年間には村鎮守の鹿島神社として記録され、本山派観音院が別当を務めていた。相殿には『延喜式』神名帳に記載された香取御児神社が奉斎されていた。
文久4年(1864)には、村中安全を祈願した白鹿山の御札が作られ、現在も神社に残されている。
境内からは古墳時代の西暦200~600年頃とみられる祭祀用土器の台脚片や灯明皿土器が出土している。また、境内西側の「長者原」と呼ばれる一帯からは、平安時代の西暦1000年頃のものとされる外貨が多数出土している。
境内には享保8年(1723)建立の石碑や元文2年(1737)の社殿再建を伝える棟札が残る。相殿には式内社の香取御児神社を祀る。例祭は毎年9月19日に行われる。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
