有名度
前頭敷玉早御玉神社
しきたまはやみたまじんじゃ
宮城県大崎市古川楡木字諏訪26
宮城県大崎市古川楡木字諏訪26

かんたんご利益
- 仕事
- 子供
- 安全
敷玉早御玉神社には
「仕事系」「子供系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
航海安全 漁業繁栄 安産
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「ワタツミ系」
です。他に 「不明(1柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
敷玉早御玉神社は宮城県大崎市に鎮座する神社。御祭神は豊玉姫命、玉依姫命の2柱をまつる。
社格は式内社であり、旧村社。
敷玉早御玉神社は『延喜式神名帳』に記載された陸奥国志太郡の式内社で、志太郡に載る神社は「敷玉早御玉神社」1座のみである。式内社としては国幣小社に列し、「奥州一百座」の一社とされる。境内には「奥州一百座神社」と刻まれた碑が立つ。旧社格は村社である。
創祀年代は明らかではないが、平安時代初期の勧請と伝えられている。社伝では、対馬国上県郡の海神神社から豊玉姫命の分霊を勧請し、玉依姫命を合祀したという。古くは祭礼の際、国司や探題職などが幣帛を奉納したと伝えられている。
現在の古川楡木に鎮座する社を式内社「敷玉早御玉神社」に比定することについては異説もある。江戸時代の地誌『封内風土記』には、楡木邑の天神宮が文禄年間(1592~1596)、諏訪神社が元禄年間(1688~1704)に勧請されたと記されている。現在の鎮座地が「字諏訪」であることから、この諏訪神社を後に式内社へ比定したとする説がある。
文政元年(1818)には、現在の大崎市三本木新沼にあたる地で、若宮八幡神社別当第40代の渋谷秀盛が敷玉早御玉神社を再興したと伝えられる。この社はかつて社殿を失い、「敷玉森」の名を残していたという。その後、若宮八幡神社に合祀され、平成3年(1991)に分祀されて境内摂社となった。このため、古川楡木の当社と若宮八幡神社境内の敷玉早御玉神社は、ともに式内社の比定社とされている。
古川楡木の敷玉早御玉神社は明治5年(1872)11月に村社へ列格した。かつて存在した敷玉村の村名は、敷玉早御玉神社の社名から採られたことが村誌に記されている。
例祭は4月18日と9月25日に行われる。
社格は式内社であり、旧村社。
敷玉早御玉神社は『延喜式神名帳』に記載された陸奥国志太郡の式内社で、志太郡に載る神社は「敷玉早御玉神社」1座のみである。式内社としては国幣小社に列し、「奥州一百座」の一社とされる。境内には「奥州一百座神社」と刻まれた碑が立つ。旧社格は村社である。
創祀年代は明らかではないが、平安時代初期の勧請と伝えられている。社伝では、対馬国上県郡の海神神社から豊玉姫命の分霊を勧請し、玉依姫命を合祀したという。古くは祭礼の際、国司や探題職などが幣帛を奉納したと伝えられている。
現在の古川楡木に鎮座する社を式内社「敷玉早御玉神社」に比定することについては異説もある。江戸時代の地誌『封内風土記』には、楡木邑の天神宮が文禄年間(1592~1596)、諏訪神社が元禄年間(1688~1704)に勧請されたと記されている。現在の鎮座地が「字諏訪」であることから、この諏訪神社を後に式内社へ比定したとする説がある。
文政元年(1818)には、現在の大崎市三本木新沼にあたる地で、若宮八幡神社別当第40代の渋谷秀盛が敷玉早御玉神社を再興したと伝えられる。この社はかつて社殿を失い、「敷玉森」の名を残していたという。その後、若宮八幡神社に合祀され、平成3年(1991)に分祀されて境内摂社となった。このため、古川楡木の当社と若宮八幡神社境内の敷玉早御玉神社は、ともに式内社の比定社とされている。
古川楡木の敷玉早御玉神社は明治5年(1872)11月に村社へ列格した。かつて存在した敷玉村の村名は、敷玉早御玉神社の社名から採られたことが村誌に記されている。
例祭は4月18日と9月25日に行われる。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
