有名度
前頭熊野三社
くまのさんしゃ
岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立92
岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立92

かんたんご利益
- 健康
- 安全
熊野三社には
「健康系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国土安泰 延命長寿 無病息災 海上安全
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「熊野系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
熊野三社は岩手県西磐井郡平泉町に鎮座する神社。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、少名彦命、天忍穂耳命の4柱をまつる。
社伝によると、嘉保年間(1094~1096)、藤原清衡が平泉鎮護のため五方鎮守を整えた際、北方鎮守として熊野社を建立したという。紀伊国の熊野から熊野権現の分霊を勧請し、五間四面の宮造りの社殿に神像を安置した。また、末社として子守社と勝手社が祀られた。
五方鎮守は、東方に日吉社・白山社、西方に北野天神社・稲荷社、南方に祇園社・八王子社、北方に熊野社・金峯社が置かれ、金峯社を中央総社とした。
元亀2年(1571)、熊野社は野火によって焼失した。このとき十一面観音の掛仏と蔵王権現の神像が持ち出され、蔵王権現像は残された頭部をもとに面へ改められた。火災後は花立山へ移り、花立池の北側に仮宮を建立した。熊野社に子守社と勝手社を合祀し、以後は熊野三社と称した。
安政2年(1855)には華館山へ移って仮宮を建立し、明治24年(1891)に社殿を造営した。その後、現在の平泉文化遺産センターが建つ場所にも鎮座していたが、昭和29年(1954)8月の社殿改築に伴って現在地へ移転した。
平成20年(2008)、社殿の建て替えに伴う境内の調査で、瓷器系陶器を焼いた窯跡3基が発見された。窯跡は同年7月に確認されたもので、国内最北、東北最古と考えられる瓷器系陶器窯とされている。社殿の造営と境内整備は平成22年(2010)9月までに完了した。
境内には社殿のほか神楽殿がある。また、元亀2年(1571)の火災を免れた蔵王権現像の頭部をもとに作られた面が宝物として伝わる。例祭は春祭を3月9日、秋祭を9月19日に行う。
社伝によると、嘉保年間(1094~1096)、藤原清衡が平泉鎮護のため五方鎮守を整えた際、北方鎮守として熊野社を建立したという。紀伊国の熊野から熊野権現の分霊を勧請し、五間四面の宮造りの社殿に神像を安置した。また、末社として子守社と勝手社が祀られた。
五方鎮守は、東方に日吉社・白山社、西方に北野天神社・稲荷社、南方に祇園社・八王子社、北方に熊野社・金峯社が置かれ、金峯社を中央総社とした。
元亀2年(1571)、熊野社は野火によって焼失した。このとき十一面観音の掛仏と蔵王権現の神像が持ち出され、蔵王権現像は残された頭部をもとに面へ改められた。火災後は花立山へ移り、花立池の北側に仮宮を建立した。熊野社に子守社と勝手社を合祀し、以後は熊野三社と称した。
安政2年(1855)には華館山へ移って仮宮を建立し、明治24年(1891)に社殿を造営した。その後、現在の平泉文化遺産センターが建つ場所にも鎮座していたが、昭和29年(1954)8月の社殿改築に伴って現在地へ移転した。
平成20年(2008)、社殿の建て替えに伴う境内の調査で、瓷器系陶器を焼いた窯跡3基が発見された。窯跡は同年7月に確認されたもので、国内最北、東北最古と考えられる瓷器系陶器窯とされている。社殿の造営と境内整備は平成22年(2010)9月までに完了した。
境内には社殿のほか神楽殿がある。また、元亀2年(1571)の火災を免れた蔵王権現像の頭部をもとに作られた面が宝物として伝わる。例祭は春祭を3月9日、秋祭を9月19日に行う。
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出典
公式
https://kumano3sha.wixsite.com/kumano3
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