志和八幡宮 - 神社ファン

有名度

十両

志和八幡宮

しわはちまんぐう

岩手県紫波郡紫波町上平沢字八幡73

😞 🙁 😐 🙂 😄

岩手県紫波郡紫波町上平沢字八幡73

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
志和八幡宮には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
他に 「鹿島系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

志和八幡宮は岩手県紫波郡紫波町に鎮座する神社。御祭神は誉田別命、武甕槌命の2柱をまつる。
社格は旧郷社。
貞観4年(862)8月、山城国の男山八幡宮から神霊を勧請したことに始まると伝えられる。
天喜5年(1057)、源頼義が安倍貞任を討つため紫波郡へ軍勢を進めた際、志和八幡宮に奉幣して戦勝を祈願した。安倍氏を討った後には軍勢が社前に集まり、勝鬨を上げて凱歌を奉じたと伝えられている。別の伝承では、康平5年(1062)、源義家が志和の陣を出発するにあたり戦勝を祈願すると白鳩が飛び交い、その後、戦況が不利となった際にも再び白鳩が現れたという。さらに暴風が起こり、安倍氏の城内から炎と煙が上がったため軍勢が攻め込み勝利を収めたとされる。義家は戦勝への感謝として正月の未明に大篝火を焚き、この故事にちなみ、現在も1月5日の御勧日(五元日)の祭典では社前で大篝火が焚かれている。
中世には、斯波氏の家臣である片寄吉三郎の鎮守であったとも伝えられる。近世に入ると盛岡藩主南部氏の篤い崇敬を受け、慶長年間(1596~1614)には南部利直から祀田43石4斗1升が寄進された。さらに、慶長12年(1607)10月4日および同月20日付の文書には、上平沢の禰宜手作地37石余を寄進したことが記されている。貞享5年(1688)7月と享保17年(1732)4月の棟札にも、南部氏の祖先以来、代々にわたって祭祀が継承されてきたことが記されており、南部利直の黒印状は現在、紫波町指定有形文化財となっている。
明治4年(1871)10月には郷社に列せられた。境内には大神宮、八坂神社、金刀比羅神社、春日神社、天満宮の境内社が鎮座し、例祭は毎年9月8日に執り行われる。
  • 郷社
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/