護穀神社 - 神社ファン

有名度

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護穀神社

ごこくじんじゃ

青森県弘前市住吉町8

😞 🙁 😐 🙂 😄

青森県弘前市住吉町8

かんたんご利益

  • 仕事
  • 厄除
護穀神社には

「仕事系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

五穀豊穣 農業守護 開運招福 商売繁盛

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

稲荷系」 「住吉系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

護穀神社は青森県弘前市に鎮座する神社。御祭神は保食神、住吉神、倉稲魂神の3柱をまつる。
社格は旧村社。
宝永5年(1708年)、弘前藩4代藩主・津軽信政の時代に富田村領へ住吉大明神の社地が置かれた。現在の住吉町の町名はこの住吉社に由来するとされ、当時は周辺に下級武士が多く居住していた。享保2年(1717年)には住吉神が勧請され、寛延3年(1750年)には弘前藩6代藩主・津軽信著の時代に、津軽五郡の五穀豊穣を祈願する護穀神社が建立された。弘前市の年表にも、住吉宮境内へ護穀神社の神殿が造営されたことが記されており、本殿は弘前城内から藩主が遥拝できるよう西北方向を向いて建立され、現在も創建当初の位置を保っている。
護穀神社は京都の吉田家から天子の御緒太と御田扇を授けられ、藩政時代には五穀成就を祈願する重要な神社として崇敬された。旧暦4月14日から15日に行われる例大祭には津軽藩内で仕事を休む慣習があり、藩の年中行事の一つとして広く知られていた。
延享元年(1744年)には、楮町の山村伊勢が屋敷神としてまつっていた宣命稲荷神社が住吉社地へ遷され、文久年間(1861~1864年)には倉稲魂神が配祀された。また、境内の松尾神社は領内の酒造・醸造業の守護神として創建され、安永年間(1772~1781年)に護穀神社へ合祀された後、明治34年(1901年)に酒造家の出資によって再建されている。
宝暦5年(1755年)には、津軽藩の蔵元を務めた狩谷広保が三神功徳之碑を建立した。この碑には住吉神・稲荷神・護穀神が刻まれ、天明8年(1788年)に補修された記録も伝わる。
明治6年(1873年)4月に村社へ列せられ、明治44年(1911年)6月には国有地1反4畝5歩の境内編入が許可された。昭和21年(1946年)以降は神社本庁に所属し、境内には明治40年(1907年)建立の社号標や文政5年(1822年)の猿田彦大神碑、三猿を刻んだ石碑など、歴史を伝える文化財が現在も残されている。
  • 村社
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/