平徳子
たいらのとくし
- 歴史的人物
- 女神・女性

水野年方(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング457位
- 皇族
平安~鎌倉 [1155年~1213年]
平徳子とは?
平徳子(1155-1213)は平安時代末期の女性。平清盛の次女であり、母親は平時子。徳子は16歳の時に後白河法皇の第7皇子である高倉天皇に入内した。清盛が権勢を確実にするための政略的な婚姻であり、法皇の后である平滋子の力も働いたと言われている。徳子が高倉天皇との間に皇子が生まれたことから清盛は後白河法皇を鳥羽殿に幽閉、高倉天皇に譲位を迫り徳子の子供は幼年にして安徳天皇として即位することになる。高倉天皇は院政を敷き、その周囲は平氏一門でおさえられ平氏の権勢は確固たるものとなった。しかし、平氏の専横に不満を抱く以仁王の挙兵によって大きく変動、清盛は福原の遷都により情勢を挽回しようとするが高倉院は没し、さらには父清盛も病没することにより平氏の勢いは衰退の一途をたどり、源氏との合戦では平氏は壇ノ浦に追い詰められ滅亡、徳子は安徳天皇、時子らと共に入水し自害を目論むが渡辺昵に救助され一命をとりとめた。徳子は京に戻った後も罪に問われる事はなく、大原寂光院で隠棲の上生涯を閉じている。 徳子は水天宮で祭神として祀られている。水天宮は全国に数多く存在するが、福岡県久留米市にある全国総本山水天宮や東京都中央区にある水天宮などが有名。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
平徳子たいらののりこ
その他
建礼門院けんれいもんいん
その他
