ニギハヤヒ 神社の神様 - 神社ファン

ニギハヤヒ

にぎはやひ

  • 神話・伝説
  • 男神・男性
ニギハヤヒ

表記なし

祭神ランキング113位

ニギハヤヒとは?

ニギハヤヒは記紀神話などに登場する男神である。『古事記』では邇芸速日命、『日本書紀』では饒速日命と記される。このほか、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、櫛玉饒速日命、天照国照彦天火明尊など、後世の文献や神社伝承にはさまざまな神名が伝えられている。
『古事記』では、天つ神の御子が地上へ降ったと聞いて後を追って天降り、神倭伊波礼毘古命(後の神武天皇)に天つ神のしるしを献上して仕えたとされる。登美毘古の妹・登美夜毘売との間に、物部連、穂積臣、采女臣の祖となる宇摩志麻遅命をもうけた。
『日本書紀』では、神武天皇が大和へ入る以前に天磐船に乗って降臨し、長髄彦の妹・三炊屋媛を妻として可美真手命をもうけていたとされる。神武東征では長髄彦が奉じる神として登場するが、ニギハヤヒは神武天皇が天神の御子であることを認め、長髄彦を討って帰順した。この伝承については、神武天皇以前の大和に存在した勢力を反映したものとする説や、大和の在地勢力と物部氏との関係を示すものとする説などがある。
また、『先代旧事本紀』などでは、ニギハヤヒが十種神宝を授かって天降ったと伝えられている。十種神宝には死者をも蘇らせるとされる「布瑠の言」の伝承があり、物部氏の祭祀や石上神宮に伝わる鎮魂の信仰とも深く結びついている。
ニギハヤヒを祀る神社としては、石切劔箭神社(大阪府東大阪市)、磐船神社(大阪府交野市)、矢田坐久志玉比古神社(奈良県大和郡山市)などがある。石切劔箭神社では病気平癒を願う信仰が篤いなど、ニギハヤヒを祀る神社ではそれぞれの由緒に基づく信仰が受け継がれている。

エピソード

神武天皇より先に天磐船で大和へ降る
ニギハヤヒは、神武東征以前から大和にいた天神の御子として記紀に登場する。ただし、その降臨の描き方は『古事記』と『日本書紀』で異なっている。
『古事記』では、ニギハヤヒは天つ神の御子が天降ったと聞き、その後を追って天降って来たと語る。そして大和へ進んできた神武天皇に天つ神のしるしを献上し、その一行に仕えた。降臨に用いた乗り物や、最初に降り立った場所については記されていない。
一方、『日本書紀』では、ニギハヤヒは天磐船《あまのいわふね》に乗って大空を巡り、大和を見定めて降った神とされる。神武天皇は東征の途中で、東方に天磐船で降った神がいると塩土老翁《しおつちのおじ》から聞いており、ニギハヤヒの存在を知ったうえで大和を目指している。また、天磐船から国を見たことが、倭国を虚空見日本国《そらみつやまとのくに》と呼ぶ由来になったとも記される。
ニギハヤヒの降臨は、ニニギの天孫降臨とは別に記された伝承である。記紀はニギハヤヒの父母を明記していないが、神武天皇と同じく天上世界に由来する神であることを示している。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業「邇芸速日命」



二つの天神のしるしを見届けて神武天皇に従う
神武天皇の軍勢が大和へ進むと、この地で勢力を持っていた長髄彦《ながすねひこ》が激しく抵抗した。『日本書紀』によれば、長髄彦は神武天皇に対し、以前にも天神の御子が天磐船で降り、自分の妹を妻としていると訴えた。その神こそニギハヤヒであった。
長髄彦はニギハヤヒを主君として仕えていたため、新たに現れた神武天皇が天神の御子を名乗ることを疑った。そこでニギハヤヒが天神の御子である証拠として、天羽羽矢《あめのははや》一隻と歩靫《かちゆき》を示した。神武天皇はそれが本物であると認め、自らも同じ天神のしるしを示した。長髄彦は神武天皇も天上に由来することを理解したが、それでも戦いをやめなかった。
ニギハヤヒは天神が神武天皇を助けていることを知り、長髄彦を討って、その軍勢とともに帰順した。神武天皇は、ニギハヤヒが天から降った神であり、忠誠を示したことを称えたという。『古事記』では長髄彦を討つ場面はなく、ニギハヤヒが天つ神のしるしを献上して仕えたことだけが簡潔に記される。
この神話では、ニギハヤヒは単なる敗者ではなく、神武天皇が天神の系譜に属することを見定め、大和の勢力を新たな支配者へ結びつける役割を担っている。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業「邇芸速日命」



物部氏の祖神と十種神宝
ニギハヤヒは、大和政権で軍事や神宝の管理、鎮魂祭祀などを担った物部氏の祖神とされる。『古事記』では、ニギハヤヒが登美毘古の妹・登美夜毘売を妻とし、宇摩志麻遅命をもうけたと記される。宇摩志麻遅命は物部連だけでなく、穂積臣や采女臣の祖ともされている。『日本書紀』では母を長髄彦の妹・三炊屋媛、子を可美真手命と記す。
後代に編まれた『先代旧事本紀』では、ニギハヤヒは降臨に際して天璽瑞宝十種《あまつしるしみずのたからとくさ》を授かったとされる。十種神宝は二つの鏡、一振りの剣、四つの玉、三枚の比礼《ひれ》からなり、死者を蘇らせるほどの霊力を持つ宝として語られた。これは『古事記』『日本書紀』本文にはない伝承であり、記紀の天羽羽矢や歩靫とは別の神宝である。
石上神宮では、十種神宝に宿る神霊を布留御魂大神《ふるのみたまのおおかみ》として祀る。神宮の伝承では、ニギハヤヒの子・宇摩志麻治命が十種神宝を用いて神武天皇と皇后の長寿を祈ったことが、鎮魂祭の起源とされている。
ニギハヤヒと十種神宝の伝承は、物部氏が祖神から神宝と鎮魂の力を受け継ぎ、王権に奉仕した由来を示している。後世にニギハヤヒが病気平癒や生命力再生の神として信仰される背景にも、この神宝伝承がある。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、『先代旧事本紀』、石上神宮公式サイト「布留御魂大神」「ご由緒・ご祭神」



天の磐船と病気平癒に受け継がれた信仰
大阪府交野市の磐船神社では、ニギハヤヒが降臨に用いたとされる天の磐船を御神体としている。御神体は天野川をまたぐように横たわる巨大な磐座《いわくら》であり、社殿に神像を納めるのではなく、巨岩そのものをニギハヤヒ降臨の聖地として祀る信仰が受け継がれている。境内の巨石群は、後世には神道家や修験者の行場ともなった。
大阪府東大阪市の石切劔箭神社では、ニギハヤヒとその子ウマシマジを親子二柱の祭神として祀る。社伝では、ウマシマジが神武天皇の即位翌年に出雲へ向かう際、父ニギハヤヒを生駒山中の宮山に祀ったことを神社の始まりとしている。後にウマシマジも下之社に祀られ、物部氏の祖神を祀る二座として信仰された。
石切劔箭という社名は、祭神の神威が堅い岩をも切り裂き、貫き通す剣と矢のように強いことを表すとされる。その力によって病魔や災厄を断ち切ると信仰され、現在も病気平癒を願う御加持やお百度参りで広く知られている。また、ニギハヤヒが十種神宝を伝えたという神社伝承も、生命力を回復させる鎮魂と病気平癒の信仰に結びついている。
天磐船で地上へ降った神話は磐船神社の巨石信仰となり、十種神宝と物部氏の伝承は石切劔箭神社の病気平癒の信仰となった。二社はそれぞれ異なる形で、ニギハヤヒの降臨と霊力を現在へ伝えている。

出典・参考:磐船神社公式サイト「磐船神社について」、石切劔箭神社公式サイト「御由緒・御祭神」「御加持・御祈祷」



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出典文献

古事記

日本書紀

古語拾遺

新撰姓氏録

先代旧事本紀

神格

太陽神 穀物の神

ご神徳

諸願成就 病気治癒

別称・異称

邇芸速日命

にぎはやひのみこと

古事記

饒速日

にぎはやひ

日本書紀

櫛玉饒速日命

くしたまにぎはやひのみこと

日本書紀

饒速日命

にぎはやひのみこと

日本書紀/古語拾遺/新撰姓氏録

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと

先代旧事本紀

胆杵磯丹杵穂命

いきしにほのみこと

先代旧事本紀

神饒速日命

かんにぎはやひのみこと

新撰姓氏録

速日命

はやひのみこと

新撰姓氏録

天火明饒速日命

あめのほあかりにぎはやひのみこと

その他

天饒速日命

あめのにぎはやひのみこと

その他

饒早日尊

にぎはやひのみこと

その他

同一とされる神様

天火明命  

祀られている主な神社

石切劔箭神社
(大阪府東大阪市東石切町1-1-1)
桜神宮
(東京都世田谷区新町3丁目21-3)
藤白神社
(和歌山県海南市藤白466)
稲村神社
(茨城県常陸太田市天神林町3228番地)
北野天神社(物部天神社・国渭地祇神社・天満天神社)
(埼玉県所沢市小手指元町3-28-44)