有名度
前頭南方神社
みなみかたじんじゃ
鹿児島県枕崎市鹿篭麓町398
鹿児島県枕崎市鹿篭麓町398

かんたんご利益
- 仕事
- 子供
- 勝負
南方神社には
「仕事系」「子供系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
必勝 商売繁盛 子授け
御祭神
建御名方神 たかみなかたのかみ
八坂刀売神 やさかとめのかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「諏訪系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
南方神社は鹿児島県枕崎市に鎮座する神社。御祭神は建御名方神、八坂刀売神の2柱をまつる。
社格は旧郷社。
南方神社の由緒は、正平12年(1357)頃にさかのぼる。薩摩国阿多郡加世田郷の宇敷山頂にある蔵多山へ、信濃国一之宮である諏訪大社の御分霊を勧請したことに始まると伝えられる。
文安元年(1444)には、島津熙久が社を現在の鹿児島県枕崎市鹿篭麓町へ遷し、以後は鹿篭の産土神として崇敬された。当時は上社に建御名方神、下社に事代主神を祀っていたと伝えられる。また、氏子総代を代々務めた山下門の者が神体を背負って遷座し、その途中で休憩した木口屋の南には、現在も「諏訪岡」の地名が残る。
明治5年(1872)には県から神官の本田出羽が臨検し、社名を南方神社と改めた。この際、祭神も信濃国諏訪大社の祭祀に合わせ、相殿神を事代主神から八坂刀売神へ改めた。
その後、社殿の整備が進められ、明治6年(1873)に本殿が改築され、大正4年(1915)には参道の石段が整備された。さらに昭和6年(1931)には拝殿が改築され、現在の境内の基礎が整えられた。
境内には鳥居と御扉が並列して配置されており、全国でも珍しい構成として知られている。
社格は旧郷社。
南方神社の由緒は、正平12年(1357)頃にさかのぼる。薩摩国阿多郡加世田郷の宇敷山頂にある蔵多山へ、信濃国一之宮である諏訪大社の御分霊を勧請したことに始まると伝えられる。
文安元年(1444)には、島津熙久が社を現在の鹿児島県枕崎市鹿篭麓町へ遷し、以後は鹿篭の産土神として崇敬された。当時は上社に建御名方神、下社に事代主神を祀っていたと伝えられる。また、氏子総代を代々務めた山下門の者が神体を背負って遷座し、その途中で休憩した木口屋の南には、現在も「諏訪岡」の地名が残る。
明治5年(1872)には県から神官の本田出羽が臨検し、社名を南方神社と改めた。この際、祭神も信濃国諏訪大社の祭祀に合わせ、相殿神を事代主神から八坂刀売神へ改めた。
その後、社殿の整備が進められ、明治6年(1873)に本殿が改築され、大正4年(1915)には参道の石段が整備された。さらに昭和6年(1931)には拝殿が改築され、現在の境内の基礎が整えられた。
境内には鳥居と御扉が並列して配置されており、全国でも珍しい構成として知られている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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文化財
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
https://minakatajinja.com/
鹿児島県神社庁
https://www.kagojinjacho.or.jp/
https://minakatajinja.com/
鹿児島県神社庁
https://www.kagojinjacho.or.jp/
