有名度
大関鵜戸神宮
うどじんぐう
宮崎県日南市大字宮浦3232番
皇子神社
更新日:2026年10月19日
御祭神の第一皇子をお祀りする神社
岩窟の中、御本殿左側に鎮座するのは末社「皇子神社」です。瑞垣に囲まれた朱色のお社で、屋根には千鳥破風と唐破風が設けられています。もともとは現在地にあった神社ではなく、一之鳥居近くの吹毛井(ふけい)の船形山(ふながたやま)に鎮座していました。明治維新の後に現在の岩窟内へ遷座したと伝わります。
1977年(昭和52年)には、旧社地にご神体の一部を移して祀り直しました。現在の皇子神社は御本殿のすぐそばに鎮座していますが、その由緒は岩窟の外にある吹毛井の旧社地にもつながっています。

彦五瀬命は弟の神日本磐余彦尊、後の神武天皇らとともに日向を出発し、大和を目指す東征に参加しました。
一行は瀬戸内海を東へ進み、河内国から大和へ入ろうとします。しかし、そこで大和地方の指導者であった長髄彦の軍勢と戦いになり、彦五瀬命は敵の矢を受けて負傷しました。彦五瀬命は、日の神の子孫である自分たちが太陽に向かって戦ったことが良くなかったと考え、進路を変えて紀伊半島を回り、太陽を背にして大和へ向かうことを進言したと伝えられています。
しかし、彦五瀬命は戦いで負った傷が原因となり、大和へたどり着くことなく紀伊国で亡くなりました。
現在、和歌山県和歌山市和田には彦五瀬命を御祭神とする竈山神社が鎮座し、そのすぐ近くには宮内庁が彦五瀬命の墓として管理する「竈山墓」があります。

御本殿の御祭神である日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊を参拝した後、そのすぐ左側で第一皇子・彦五瀬命にもお参りできるのが皇子神社です。
小さなお社ですが、御本殿の御祭神から彦五瀬命、そしてその弟である神武天皇へと続く系譜を知ると、なぜこの場所に皇子神社が祀られているのかが分かってきます。
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