八丁坂参道 | 鵜戸神宮 - 神社ファン

有名度

大関

鵜戸神宮

うどじんぐう

宮崎県日南市大字宮浦3232番

八丁坂参道

更新日:2025年7月10日

かつての表参道

八丁坂参道は、吹毛井の港から神門へと続く石段参道です。鵜戸神宮へ向かう最も古い参道で、上り438段、下り377段の全815段からなります。長さ約870メートル、昔の単位で八丁(はっちょう)に相当することから、この名前が付けられました。鵜戸神宮の旧参道であり、現在の車道が整備される前までは、こちらの道から参拝したと伝わります。1970年には市の指定文化財に指定されました。
八丁坂参道と鳥居
鵜戸神宮最寄りのバス停から本宮に向かう際に途中から整備された八丁坂参道を下っていきます。下る際は、ぜひ足元にご注目ください。長年の参拝者の往来により、石段の中央がすり減り、窪んでいるのを確認することができます。これは当時の参拝者の多さを物語っていると言われています。また、石の表面は滑りやすいので、雨の日は特にご注意ください。
手すりが付いた八丁坂参道
参道を下ると、土産物店が軒を連ねています。鵜戸名物のおちちあめをはじめ、様々な商品を見ることができます。授与所も設けられており、ここで授与品を受けることも可能です。
八丁坂参道近くの授与所
鵜戸神宮の入口(駐車場側から)から参道を上りきったさきには切ると、別当墓地があります。神仏習合時代、鵜戸神宮は鵜戸六所大権現と呼ばれ、鵜戸山仁王護国寺はその別当寺でした。これは当時、別当職を兼ねていた住職たちの墓地です。鵜戸山仁王護国寺の歴史は古く、786年の平安時代、天台宗の僧侶「光喜坊快久」が桓武天皇の勅命により初代別当として寺を創建したと伝えられています。墓地には光喜坊快久のものと伝わる五輪塔のほか、第30世以降の歴代別当をはじめ、関係者の墓が残されています。特徴的なのは、別当の墓の形状でしょう。井戸枠形をしており、中央に置かれた小さな円形の自然石には別当の法名が刻まれています。また墓地内の墓石の石材は、ほとんどが日南海岸で産出される砂岩を使用しています。八丁坂参道と同じく、1970年に市の指定文化財に指定されました。
この先は下り階段となっています。神仏習合時代は、階段の両側に鵜戸山仁王護国寺の12の支院があったと伝わります。

神犬石

神門手前にある神犬石も、見逃せない見どころのひとつです。注連縄が巻かれた、犬の横顔に似た巨大な岩で、八丁坂参道から御本殿を見守るような姿勢から、神犬石と呼ばれ親しまれています。
神犬石

坊園の尼さま

八丁坂参道の石段は、延暦年中(782~806年)に坊園の尼さまと呼ばれる尼僧が、近くの海岸の磯石を頭に担いで築いたと言われています。「鵜戸さんまいり」に貢献した人物です。
その尼さまを慰霊するお社が、八丁坂参道を下った先の授与所隣に鎮座しています。かつては鵜戸神宮裏山の急な斜面の岩場にお堂が建てられていましたが、お参りするのに大変な立地や、建物の老朽化などの理由により、2020年に現在の場所へ移転しました。身体健全、特に足腰についてご利益があると言われています。
坊園の尼さまのお社

民話の舞台となった八丁坂参道

八丁坂参道は、宮崎県の民話の舞台となった場所でもあります。昔々、鵜戸神宮では「銀の杖」と呼ばれる御神宝が大切に保管されていました。ある日のことです。金儲けを企んだ泥棒が、その銀の杖を盗み、背中に結び付け、逃げ出しました。すると社殿を出たところで、突然銀の杖が輝き、熱くなります。泥棒はしばらく我慢して走っていましたが、とうとう我慢できなくなりました。神の祟りだと気が付いた泥棒は銀の杖を返し、その後は心を改め出家したと伝わります。この泥棒が銀の杖を持って走った道が八丁坂参道です。
八丁坂参道

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