郡浦神社 - 神社ファン

有名度

前頭

郡浦神社

こうのうらじんじゃ

熊本県宇城市三角町郡浦2666

熊本県宇城市三角町郡浦2666

拝殿

Siwamura(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 厄除
  • 家庭
郡浦神社には

「厄除・開運系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

厄払い 開運招福 生活守護

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

阿蘇系

です。
他に 「不明(1柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

郡浦神社は熊本県宇城市に鎮座する神社。御祭神は蒲智比咩命、健磐龍命、速瓶玉命、神武天皇の4柱をまつる。
社格は旧郷社。
郡浦神社の起源については、蒲智比咩命を祀る蒲智比咩神社との関係が伝えられている。『日本三代実録』元慶2年(878年)9月7日条には、宇土郡の正六位上蒲智比咩神社の前を流れる川の水が赤く変わり、周辺の山野草木が枯れたことが記されている。後世の地誌では、この蒲智比咩神と郡浦大明神を同一視する記述が見られる。
平安時代後期には郡浦社の存在が確認できる。久安6年(1150年)1月23日の肥後国司庁宣写には「管郡浦社」と記されており、この時点で郡浦社が国衙の管轄下にあったことが分かる。その後、郡浦社は甲佐神社や健軍神社とともに阿蘇社の末社となった。
また、天養元年(1144年)には阿蘇神主兼大宮司の友孝が阿蘇から当地へ遷座したと伝えられている。この伝承は宝永元年(1704年)10月11日付の「阿蘇友隆書出シ」に記録されている。さらに、正平16年(1361年)の「甲佐社牒写」には郡浦大明神について「阿蘇御母・甲佐宮祖母神」と記されている。
鎌倉時代の嘉元4年(1306年)6月12日に作成された昭慶門院御領目録には「郡浦 万里小路大納言入道」の記載がある。この頃の郡浦社は阿蘇末社として王家領に組み込まれ、本家は安楽寿院、領家は村上源氏久我家流の万里小路大納言入道であった。地頭は阿蘇本社、健軍社、甲佐社とともに北条得宗家が務めていたとされる。
境内は2182坪の広さを有し、平安時代初期のものと伝わる石造五重塔が残されている。また、1876年(明治9年)の神風連の変に関わり、宇城市三角町の大岳山頂で自刃した六烈士を顕彰する石碑や殉国の碑も建てられている。例祭は毎年10月9日と10日に執り行われる。
  • 三宮(肥後国 伝)
  • 郷社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E6%B5%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE