八代妙見宮 - 神社ファン

有名度

前頭

八代妙見宮

やつしろみょうけんぐう

熊本県八代市妙見町405

熊本県八代市妙見町405

かんたんご利益

  • 健康
  • 厄除
八代妙見宮には

「健康系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

健康長寿 無病息災 開運招福

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

妙見信仰系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

八代妙見宮は熊本県八代市に鎮座する神社。御祭神は天之御中主神、國常立尊の2柱をまつる。
社格は旧県社。
八代妙見宮の創始は、白鳳9年(680年)と伝えられる。『妙見宮実紀』によれば、妙見神は亀蛇の背に乗って海を渡り、八代郡土北郷八千把村竹原津に上陸し、この地に約3年間仮座したという。また、中国の明州(現在の寧波)から渡来したとする伝承や、百済国聖明王の第三皇子である琳聖太子に関わる伝承があり、いずれも竹原津への上陸を伝えている。
白鳳11年(682年)、妙見神は益城郡小熊野村の千代松が峯へ遷座した。その跡は白木平と呼ばれる。天平宝字2年(758年)には八代郡戸北郷の横嶽ノ嶺へ遷り、後の妙見上宮の地となった。
延暦14年(795年)、桓武天皇の勅願により横嶽三室山の山頂に妙見上宮が建立された。永暦元年(1160年)3月18日には、二条天皇の勅願により肥後守平貞能朝臣が上宮の麓に妙見中宮を創建した。中宮には中宮山護神寺が置かれ、宮寺や三重塔もあったと伝えられる。
文治2年(1186年)11月15日、後鳥羽天皇の勅願により、検校散位大江朝臣高房が八代郡太田郷赤土山の麓に妙見下宮を創建した。現在の八代神社は、この妙見下宮にあたる。
中世から近世にかけて妙見宮は領主や大名の崇敬を受けた。相良氏は祭礼や鳥居を寄進したと伝えられる。天正16年(1588年)、小西行長が八代郡を領した後、神社や寺院が破却されたと伝えられ、妙見信仰は衰退した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、八代は加藤清正の領地となった。元和8年(1622年)12月には、八代城代の加藤右馬允正方が妙見宮を復興し、社殿を再建するとともに田畑を寄付した。
寛永9年(1632年)、細川忠興が八代城に入城した。忠興は妙見宮を崇敬し、寛永17年(1640年)には100石の社領を寄進した。その後、八代城主となった松井氏も代々保護を続け、妙見宮祭礼は松井家の請祭りとして継承された。
明治初年の神仏分離により、白木山神宮寺をはじめとする寺院は廃され、妙見宮は八代神社へ改称された。
八代妙見祭の神幸行事は、2011年(平成23年)に国の重要無形民俗文化財に指定され、2016年(平成28年)にはユネスコ無形文化遺産に登録された。毎年11月22日と23日に行われる祭礼では、亀蛇や笠鉾、獅子、木馬、奴などが神輿に供奉して市内を巡行する。
また、5月31日から6月1日には氷室祭が行われる。細川忠興が三室山の氷室に貯蔵した雪を奉納したことにちなむと伝えられ、現在も雪餅が神前に供えられている。
  • 県社
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