有名度
前頭玉垂宮
たまたれぐう
福岡県久留米市大善寺町宮本1463番ノ1
福岡県久留米市大善寺町宮本1463番ノ1

かんたんご利益
- 健康
- 仕事
- 学業
- 安全
- 厄除
- 勝負
玉垂宮には
「健康系」「仕事系」「学業・技芸系」「安全系」「厄除・開運系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
厄除け 延命長寿 福徳円満 国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利 航海安全 海業守護 厄払い 文芸上達
御祭神
神社系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
玉垂宮は福岡県久留米市に鎮座する神社。御祭神は玉乗命、八幡大神、住吉大神の3柱をまつる。
創祀は古く、約1900年前にさかのぼると伝えられている。社伝によれば、藤大臣は仁徳天皇55年に賊徒退治の勅命を受けて筑紫へ下り、仁徳天皇57年(369年)に高村の地に御宮を造営した。高村は現在の大善寺周辺にあたる。藤大臣はその後、筑紫で政事に携わり、仁徳天皇78年(390年)にこの地で没した。没後は祀られ、高良玉垂宮の神号を贈られたと伝えられている。
白鳳元年(673年)には、三池長者師直が玉垂宮の旧跡に法相宗の僧・安泰を招き、祭神を祀らせた。さらに境内の近くに一宇の精舎を建立し、御廟院高法寺と号した。高法寺は延暦年間に天台宗へ改宗し、弘仁5年(814年)には嵯峨天皇の勅命によって殿堂や楼門、回廊などが整備された。このとき寺号は大善寺へ改められている。
以後、玉垂宮と大善寺は同じ境内に神社と寺院が並び立つ神仏習合の形で長く存続した。明治2年(1869年)の廃仏毀釈により大善寺は廃寺となり、玉垂宮が残された。現在も境内には鐘楼、阿弥陀堂、旧庫裡などが残されており、かつての大善寺の面影を伝えている。
社宝としては、重要文化財に指定されている絹本著色玉垂宮縁起2幅が伝わる。また、毎年1月7日には鬼夜が執り行われる。大善寺玉垂宮の鬼夜は平成6年(1994年)に国の重要無形民俗文化財に指定された祭礼で、巨大な松明が境内を巡る勇壮な火祭りとして現在まで受け継がれている。
創祀は古く、約1900年前にさかのぼると伝えられている。社伝によれば、藤大臣は仁徳天皇55年に賊徒退治の勅命を受けて筑紫へ下り、仁徳天皇57年(369年)に高村の地に御宮を造営した。高村は現在の大善寺周辺にあたる。藤大臣はその後、筑紫で政事に携わり、仁徳天皇78年(390年)にこの地で没した。没後は祀られ、高良玉垂宮の神号を贈られたと伝えられている。
白鳳元年(673年)には、三池長者師直が玉垂宮の旧跡に法相宗の僧・安泰を招き、祭神を祀らせた。さらに境内の近くに一宇の精舎を建立し、御廟院高法寺と号した。高法寺は延暦年間に天台宗へ改宗し、弘仁5年(814年)には嵯峨天皇の勅命によって殿堂や楼門、回廊などが整備された。このとき寺号は大善寺へ改められている。
以後、玉垂宮と大善寺は同じ境内に神社と寺院が並び立つ神仏習合の形で長く存続した。明治2年(1869年)の廃仏毀釈により大善寺は廃寺となり、玉垂宮が残された。現在も境内には鐘楼、阿弥陀堂、旧庫裡などが残されており、かつての大善寺の面影を伝えている。
社宝としては、重要文化財に指定されている絹本著色玉垂宮縁起2幅が伝わる。また、毎年1月7日には鬼夜が執り行われる。大善寺玉垂宮の鬼夜は平成6年(1994年)に国の重要無形民俗文化財に指定された祭礼で、巨大な松明が境内を巡る勇壮な火祭りとして現在まで受け継がれている。
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神社詳細
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出典
公式サイト
http://tamataregu.or.jp/
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