有名度
小結水天宮
すいてんぐう
福岡県久留米市瀬下町265番ノ1
秋葉神社・千代松神社
更新日:2026年9月13日
御社殿に向かって右手には、秋葉神社(あきばじんじゃ)と千代松神社(ちよまつじんじゃ)が並んで鎮座しています。
阿遲鉏高日子根命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と多紀理毘売命(たきりびめのみこと)の間に生まれた神です。母神の多紀理毘売命は、天照大神と須佐之男命の誓約によって生まれた宗像三女神の一神です。
『古事記』には、阿遲鉏高日子根命の姿が、葦原中国の平定のため高天原から遣わされた天若日子(あめのわかひこ)とよく似ていたという神話が残されています。
天若日子が亡くなり、阿遲鉏高日子根命がその葬儀を弔うために訪れると、天若日子の父や妻は、亡くなった天若日子が生き返ったものと思い、阿遲鉏高日子根命に抱きつきました。しかし、死者と間違えられた阿遲鉏高日子根命は激しく怒り、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて喪屋を切り倒し、足で蹴り飛ばしたと伝えられています。
一般的な秋葉神社とは異なる御祭神を祀るのが、水天宮の秋葉神社の特徴です。現在も11月18日には秋葉神社祭が斎行されています。阿遲鉏高日子根命がこの秋葉神社に祀られるようになった経緯については、明らかになっていません。
按察使局伊勢は、高倉平中宮に仕えた女官で、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、筑後川のほとりにある鷺野ヶ原へ逃れました。1190(建久元)年、安徳天皇と平家一門の霊を祀ったことが水天宮の始まりと伝えられています。
その後、按察使局伊勢は剃髪して名を「千代」と改めました。千代松神社の名は、この「千代」の名と、逝去後に墓へ松が植えられたことに由来します。里人はその墓を「千代松明神」として崇めたと伝えられています。
千代の墓は現在も久留米市洗町のアサヒシューズ株式会社正門前に残されています。毎年4月中旬には「千代松明神墓前祭」が斎行され、4月13日の命日に墓前で玉串が奉納されています。
水天宮を創始した按察使局伊勢を祀る千代松神社と、現在も久留米市内に残るその墳墓。小さな境内社ですが、水天宮創建の歴史を現在に伝える重要な場所です。

秋葉神社
向かって左奥に鎮座しているのが秋葉神社です。全国各地の秋葉神社では火伏せの神を祀るのが一般的ですが、水天宮の秋葉神社では、農耕と文芸の神である阿遲鉏高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)を御祭神としています。阿遲鉏高日子根命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と多紀理毘売命(たきりびめのみこと)の間に生まれた神です。母神の多紀理毘売命は、天照大神と須佐之男命の誓約によって生まれた宗像三女神の一神です。
『古事記』には、阿遲鉏高日子根命の姿が、葦原中国の平定のため高天原から遣わされた天若日子(あめのわかひこ)とよく似ていたという神話が残されています。
天若日子が亡くなり、阿遲鉏高日子根命がその葬儀を弔うために訪れると、天若日子の父や妻は、亡くなった天若日子が生き返ったものと思い、阿遲鉏高日子根命に抱きつきました。しかし、死者と間違えられた阿遲鉏高日子根命は激しく怒り、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて喪屋を切り倒し、足で蹴り飛ばしたと伝えられています。
一般的な秋葉神社とは異なる御祭神を祀るのが、水天宮の秋葉神社の特徴です。現在も11月18日には秋葉神社祭が斎行されています。阿遲鉏高日子根命がこの秋葉神社に祀られるようになった経緯については、明らかになっていません。

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千代松神社
秋葉神社の右隣に鎮座するのが千代松神社です。御祭神は、水天宮の創始者である按察使局伊勢命(あぜちのつぼねいせのみこと)です。按察使局伊勢は、高倉平中宮に仕えた女官で、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、筑後川のほとりにある鷺野ヶ原へ逃れました。1190(建久元)年、安徳天皇と平家一門の霊を祀ったことが水天宮の始まりと伝えられています。
その後、按察使局伊勢は剃髪して名を「千代」と改めました。千代松神社の名は、この「千代」の名と、逝去後に墓へ松が植えられたことに由来します。里人はその墓を「千代松明神」として崇めたと伝えられています。
千代の墓は現在も久留米市洗町のアサヒシューズ株式会社正門前に残されています。毎年4月中旬には「千代松明神墓前祭」が斎行され、4月13日の命日に墓前で玉串が奉納されています。
水天宮を創始した按察使局伊勢を祀る千代松神社と、現在も久留米市内に残るその墳墓。小さな境内社ですが、水天宮創建の歴史を現在に伝える重要な場所です。

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