有名度
小結水天宮
すいてんぐう
福岡県久留米市瀬下町265番ノ1
椿の宮と呼ばれる御社殿
更新日:2026年5月9日
御社殿
1190(建久元)年創建と伝えられる水天宮は、北海道から九州まで、全国に数多ある水天宮の総本宮です。水天宮の始まりは壇ノ浦の戦いの後に高倉平中宮に使えていた女官、按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)が筑後川の辺り鷺野ヶ原(さぎのがはら)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てて祀ったのがはじまりとされています。伊勢はその後剃髪して尼となりました。周辺の民に請われ加持祈祷などを行っていたところ、霊験あらたかであったため、尼御前と称えられ、水天宮は尼御前神社と呼ばれていた。しかし筑後川流域は戦場となることが多く、社殿は幾度も遷され、慶長年間(1596~1615年)、久留米市新町1丁目に遷座されました。現在の地に遷されたのは1650(慶安3)年。久留米藩2代藩主・有馬忠頼の時代です。

筑後川には、九千坊河童(くせんぼうかっぱ)が住んでいましたが悪さばかりしていたため、加藤清正公に成敗され、二度と悪さをしないと約束し、久留米の有馬公から筑後川に棲むことを許されました。九千坊河童は、有馬公に感謝してく水天宮の護り役となり、水害などから人々を守ったそうです。

御社紋にもなった椿
水天宮は椿の名所として知られ、椿の宮、椿の社とも呼ばれています。本殿を囲むように植えられている椿は、紅色に白斑の入る久留米椿の代表「正義」をはじめ、紅色の「虎丸」「紅乙女」「四海波」、白色の「朱鷺の羽重」「白玉宝珠」、薄紅色の「桃園錦」、白地に紅の縦絞りが入った「宝合わせ」など20種以上。見ごろを迎える早春には、美しい花が境内を彩ります。
この説によると、生き延びた安徳天皇が潜伏していたのは筑後河畔の御座所。鷺野原の千寿院という寺院です。境内には美しい椿が咲いており、安徳天皇は仕えていた豪族・藤原種継の娘、玉江への想いを椿に込め、恋の歌を詠んだと伝えられています。
「椿は八千代を寿ぎ、井桁は契りを宿すとかや」(椿の花はいつの世も優しく愛でて映え、井桁はその愛を とこしえに深く育んでゆくと言われているが、いかがなものよ)
玉江を天皇にお仕えするように勧めた浄厚尼は、この歌を聞き、境内の玉椿を渡し、いつまでも大切してくださいと祝福したそうです。この恋物語が由来となり、水天宮の御社紋は椿になりました。

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