有名度
小結水天宮
すいてんぐう
福岡県久留米市瀬下町265番ノ1
鳥居・太鼓橋・神門
更新日:2026年9月13日
鳥居
本殿へ真っすぐと続く参道の入口に建つ一の鳥居は、1927(昭和2)年に奉納された石鳥居です。鳥居をくぐると、木々に囲まれた参道が神門へ向かって延びています。境内は緑が多く、本殿周辺には水天宮の御神紋でもある椿が数多く植えられています。


太鼓橋
参道を進むと、池に架けられた太鼓橋があります。橋には「昭和2年3月架設」と刻まれており、一の鳥居と同じ1927(昭和2)年に造られたものです。太鼓橋とは、太鼓の胴を思わせるように上方へ反った橋のこと。水天宮の太鼓橋は半円形に近い急な反りではなく、比較的緩やかな曲線を描いているのが特徴です。参道の一部となっているため実際に歩いて渡ることができ、その先には神門が建っています。


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高浜虚子の句碑
太鼓橋の手前左手には、俳人・高浜虚子の句碑が建っています。高浜虚子は正岡子規に師事し、子規から俳誌『ホトトギス』を引き継いだ俳人です。水天宮にも足を運び、境内から筑後川を眺めて句を詠んでいます。
句碑に刻まれているのは「汝も この神の氏子や 小春凪」。水天宮の公式サイトでも、虚子が筑後川を眺めながら詠んだ句として紹介されています。小春凪とは、初冬の小春日和に風が静まり、穏やかになった状態を表します。筑後川のほとりに鎮座する水天宮ならではの景色を詠んだ一句です。
境内にはこのほかにも文学や美術に関係する碑が残されています。松尾芭蕉の「月も見て 我はこの世を かしく哉」を刻んだ句碑や、久留米出身の洋画家・青木繁を顕彰する碑があり、水天宮とゆかりのある文化人の足跡にも触れることができます。

神門
太鼓橋を渡った正面に建つのが神門です。門をくぐると正面に社殿が現れ、一の鳥居から続いてきた長い参道の先で水天宮の中心部へと入ります。水天宮は筑後川流域の戦乱によって遷座を重ね、慶長年間には現在の久留米市新町1丁目に鎮座していました。その後、慶安3年(1650)、久留米藩2代藩主・有馬忠頼から現在地の社地と社殿の寄進を受け、筑後川に面した現在の場所へ遷座しました。


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