蒙古軍船の碇石 | 筥崎宮 - 神社ファン

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関脇

筥崎宮

はこざきぐう

福岡県福岡市東区箱崎1丁目22−1

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蒙古軍船の碇石

更新日:2026年7月25日

蒙古襲来の歴史を今に伝える貴重な遺物

鎌倉時代中期から後期にかけて、文永・弘安の役の二度にわたり蒙古襲来(元寇)が起こりました。当時、博多は蒙古軍の上陸地点となり、筥崎宮周辺も戦乱の舞台となったことから、筥崎宮は元寇と深い関わりを持つ神社として知られています。
蒙古襲来に際して、筥崎宮に参拝した亀山上皇は、神門に「敵国降伏」の宸筆を掲げて外敵退散を祈願したと伝えられています。その後、神風が吹いて蒙古軍が退却したという伝承は広く知られ、この故事をきっかけに筥崎宮は勝運や必勝を願う神社として全国にその名が広まりました。
蒙古襲来の碇石
その歴史を今に伝える遺物が、境内に展示されている蒙古軍船の碇石です。長さ約2~3m、重さ約250kgにも及ぶ角柱状の石で、蒙古軍が軍船の碇として使用していたと考えられています。昭和15年(1940)に博多港で発見され、筥崎宮へ奉納されました。
現在は境内で間近に見ることができ、その大きさから当時の軍船の規模や元寇の歴史に思いを馳せることができます。蒙古軍船の碇石を含む9点の遺物は「蒙古碇石」として福岡県指定有形文化財に指定されており、元寇を伝える貴重な歴史資料となっています。
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軍歌「元寇」の記念碑

碇石の近くには、1892年(明治25年)に永井建子が作曲した軍歌「元寇」の記念碑が建っています。
「元寇」は蒙古襲来を題材とした軍歌で、大正天皇も愛唱したと伝えられています。明治から戦前にかけて広く親しまれた楽曲で、戦後には数多くの替え歌が作られたほか、黒澤明監督の映画『一番美しく』でも使用されました。
碇石とともに見学すると、鎌倉時代の元寇から近代に至るまで、筥崎宮が日本人の歴史意識や文化の中で大きな存在であり続けたことを感じることができます。
元寇 (軍歌)

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