河野通有兜掛の楠 | 大山祇神社 - 神社ファン

有名度

関脇

大山祇神社

おおやまづみじんじゃ

愛媛県今治市大三島町宮浦3327

河野通有兜掛の楠

更新日:2026年2月19日

元寇の英雄ゆかりの楠

神門の右手には「河野通有兜掛の楠」と呼ばれる楠があります。かつては幹周14メートルを誇る大樹でしたが、1322年の兵火で枯死しました。現在は幹の一部のみが残っており、「大山祇神社のクスノキ群」の一部として国の天然記念物に指定されています。
河野通有兜掛の楠
この名前は、鎌倉時代の武将・河野通有(こうの みちあり)にまつわる伝承に由来します。河野通有は伊予国(現在の愛媛県)を本拠とした名門河野氏の当主で、瀬戸内を拠点とする三島水軍の棟梁でした。承久の乱で後鳥羽上皇方についたことで勢力が衰えていた河野氏でしたが、通有は一族再興の機会を伺っていたのです。
1281年(弘安4年)、モンゴル帝国(元)が再び日本に襲来した「弘安の役」は、まさにその好機でした。出陣を前に、通有は代々の氏神である大山祇神社へ戦勝祈願に訪れ、この楠に兜を掛けて神前に進んだと伝えられています。
通有は三島水軍を率いて北九州へ向かい、志賀島の戦いでは元軍の将を討ち取るなどの武功を挙げ、日本軍の勝利に大きく貢献しました。伝承によれば、戦の最中に白鷺が現れ、通有を勝利へと導いたといわれています。白鷺は古くから大山祇神社の神の使いとされており、神のご加護を得られたと信じられてきました。
河野通有兜掛の楠 横

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