境内末社 十七神社 | 大山祇神社 - 神社ファン

有名度

関脇

大山祇神社

おおやまづみじんじゃ

愛媛県今治市大三島町宮浦3327

境内末社 十七神社

更新日:2026年2月17日

十七柱の神々をお祀りする神社

大山祇神社の総門をくぐった先、大楠のそばには末社「十七神社」が鎮座しています。
この社は、鎌倉時代末期の1302年(正安4年)に創建されました。当初は「十六王子社」として十六柱の神々をお祀りしていましたが、のちに主祭神・大山積大神をあわせた十七柱の神々を奉斎する形となり、「十七神社」の名で呼ばれるようになりました。現在の社殿は南北朝時代の1378年(永和4年)に再建されたもので、その後も幾度かの改修を経て今日に至っています。歴史的・文化的価値の高さから、愛媛県指定有形文化財に指定されている貴重な建物です。
十七神社 社殿左から
十七神社の社殿は、長棟造(ながむねづくり)と呼ばれる平安時代の建築様式を色濃く受け継いだ造りです。桁行約30メートル、梁間約4.5メートル、棟高約5.4メートルにおよぶ社殿で、横に長く広がる檜皮葺の屋根が荘厳な雰囲気を醸し出しています。
十七神社 社殿右から
注目していただきたいのは、屋根の構造です。一方には「入母屋造」、もう一方には「切妻造」を採用し、段違いに配置するという独自の意匠が施されています。諸山積神社と十六社が連なる形で建てられているためで、建築史の観点からも貴重な建築物とされています。
また、改修を重ねる中で、桃山時代の蟇股(かえるまた)や組物、江戸時代初期の角柱や舟肘木(ふなひじき)など、異なる時代の建築技術や装飾が随所に加えられているのも特徴です。
十七神社 社殿内側

十六王子から十七神社へ

十七神社の前身は「十六王子社」です。越智諸島や伊予国一円に点在する大山祇神社ゆかりの末社の神々を一堂に集めてお祀りするために、設けられました。
なお、「十六王子」という名称は、中世日本の神仏習合に由来します。「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」の考えでは、日本の神々は仏が姿を変えて現れたもので、大山積大神の本地仏は『法華経』に登場する大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)とされました。
この如来には成仏前に十六人の王子がいたと伝えられており、これが神道の御子神・眷属信仰と結びつき、「十六王子」の名が生まれました。また、『河野家譜』にも「三島明神(大山積大神)が十六丈の大蛇となって現れた」との伝承があり、「十六」は大山積大神の神秘性を象徴する特別な数だと考えられます。
のちにこの十六王子社に「諸山積神社」が合祀され、「十七神社」となりました。諸山積神社にお祀りされているのは、大山祇命・中山祇命・麓山祇命・正勝山祇命・䨄山祇命の五柱です。いずれも大山積大神の分霊的な神格で、山の霊威を五つの側面から司るとされています。『日本書紀』によると、伊奘諾尊が火の神・軻遇突智命を十握剣で斬ったとき、その身体の各部からこれらの神々が生まれました。
社殿の内陣には、十七柱の神々を表した木彫の御神像が安置されています。表情や装束の細部まで丁寧に彫られており、十七体すべてが国の重要文化財に指定されています。
十七神社 文化財案内版

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