白峰神社 | 金刀比羅宮 - 神社ファン

有名度

大関

金刀比羅宮

ことひらぐう

香川県仲多度郡琴平町892-1

😞 🙁 😐 🙂 😄

白峰神社

更新日:2026年10月22日

崇徳天皇をお祀りする白峰神社

奥社へと向かう参道の途中、表参道から数えて923段付近には、摂社「白峰神社」が鎮座しています。御祭神は第75代崇徳天皇、相殿には御母である待賢門院(たいけんもんいん)と、山の神である大山祇神(おおやまつみのかみ)の二柱がお祀りされています。
崇徳天皇は第75代天皇です。1156年(保元元年)に起こった政変「保元の乱」に敗れ、讃岐国へと配流されました。金毘羅大権現を崇敬したことでも知られており、金刀比羅宮では、境内に建つ古籠所に参籠し、その付近にある御所之尾を仮の滞在地である「行宮」とされたと伝えています。
白峰神社 拝殿 正面
白峰神社で最初に目に入るのは、鮮やかな朱色の拝殿です。入母屋造、檜皮葺の屋根で、四方には高欄が設けられています。奥社へと続く緑豊かな参道の途中に朱塗りの社殿が建ち、周囲の木々との鮮やかな対比も見どころです。
拝殿の後方には中門と本殿があります。中門の屋根は檜皮葺で、両側に透垣を廻らしています。奥に建つ本殿は流造の建物で、こちらも同じく檜皮葺です。現在の社殿は1913年(大正2年)に造営されました。
白峰神社 中門と本殿
中門には、保元の乱で崇徳天皇方として戦った源為義・為朝父子の武将像が随神として安置されています。源為義は鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖父にあたり、為朝はその子、すなわち頼朝の叔父です。この二体の像は、もともと白峯寺の頓證寺殿前に建つ勅額門に安置されていたもので、1898年(明治31年)に金刀比羅宮へ移されました。
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白峰神社と白峯寺

白峰神社と関係の深い寺院に、香川県坂出市の白峰山にある白峯寺が挙げられます。白峯寺の近くには、讃岐国へ配流された崇徳天皇の御陵「白峯陵」があり、境内には崇徳天皇を祀る頓證寺殿があります。
崇徳天皇は讃岐国へ配流された後、1164年(長寛2年)に崩御され、白峰山に葬られました。白峯寺に伝わる由緒では、1191年(建久2年)、崇徳天皇に仕えた遠江阿闍梨章実が、天皇の仮御所であった鼓岡の行在所を移し、崇徳天皇自筆の御影を安置して菩提を弔ったことが頓證寺殿の始まりとされています。現在の頓證寺殿はその後再建されたもので、1680年(延宝8年)に建立されました。
幕末には孝明天皇が崇徳天皇の御霊を京都へ迎えることを望みましたが、その実現を前に崩御されました。その遺志を継いだ明治天皇により、1868年(明治元年)に京都に白峯神宮が創建され、崇徳天皇の御霊が京都へ奉迎されました。
頓證寺殿Dokudami(wiki CC 表示-継承 4.0)
1878年(明治11年)には、白峯寺の頓證寺殿が金刀比羅宮の摂社「白峰神社」となりました。つまり、現在金刀比羅宮の奥社参道に鎮座する白峰神社とは場所が異なり、当時は白峯寺にある頓證寺殿そのものが金刀比羅宮の摂社とされていました。
その後20年間にわたり摂社として存続しましたが、1898年(明治31年)に頓證寺殿は白峯寺へ返還されました。この際、頓證寺殿前の勅額門に安置されていた源為義・為朝父子の像は金刀比羅宮へ移されました。
頓證寺殿の返還後、白峰神社の御神霊は一時三穂津姫社に奉斎され、その後、現在の奥社参道沿いに社殿が造営されました。1913年(大正2年)に現在の白峰神社へ正遷座し、為義・為朝父子の像も随神として安置されました。
現在の白峰神社と白峯寺の頓證寺殿は離れた場所にありますが、崇徳天皇への信仰を通じて深い歴史的なつながりを持っています。奥社へ向かう途中で白峰神社を参拝する際には、朱塗りの美しい社殿だけでなく、讃岐へ配流された崇徳天皇と金刀比羅宮、白峯寺を結ぶ歴史にも注目してみてください。

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