摂社 白峰神社 | 金刀比羅宮 - 神社ファン

有名度

大関

金刀比羅宮

ことひらぐう

香川県仲多度郡琴平町892-1

摂社 白峰神社

更新日:2025年7月10日

崇徳天皇をお祀りする白峰神社

奥社へと向かう参道の途中には、摂社「白峰神社」が鎮座しています。ご祭神は崇徳天皇、相殿には御母である待賢門院(たいけんもんいん)と、山の神である大山祇神(おおやまつみのかみ)の二柱がお祀りされています。
崇徳天皇は第75代天皇です。1156年に起こった政変「保元の乱」に敗れ讃岐国へと配流されました。金毘羅大権現を崇敬したことでも知られており、境内に建つ古籠所に参籠し、その付近にある御所之尾を仮の滞在地である「行宮」とされたと伝わります。
白峰神社 拝殿 正面
白峰神社で最初に目に入るのは拝殿ではないでしょうか。入母屋造、檜皮葺の屋根で、社殿は鮮やかな朱色です。四方には高欄が設けられています。
白峰神社 中門と本殿
拝殿の後方には中門と本殿があります。中門の屋根は檜皮葺、両側に透垣を廻らしています。奥に建つ本殿は流造の建物で、こちらも同じく檜皮葺です。これらの社殿は1913年(大正2年)に造営されました。
中門の内部には、保元の乱で崇徳天皇方として戦った源為義・為朝父子の武将像が安置されています。源為義は鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖父にあたり、為朝はその子、すなわち頼朝の叔父です。

白峰神社と白峯寺

白峰神社と関係の深い寺院に「白峯寺」が挙げられます。金刀比羅宮から車で1時間ほど離れた場所にあるお寺で、境内には崇徳天皇の御廟所である頓證寺殿があります。崇神天皇は、政争に敗れ讃岐国に流された後、失意のうちに崩御されました。その後天変地異が相次いだことから祟りと恐れられ、弔う為に頓證寺殿が建立されたと言われています。建物は、崇徳天皇の仮御所であった皷岡の建物を譲り受け、御陵の南側に移築したものです。そこに天皇ご自身が描かれた御影を安置し、天皇の御菩提を弔っておりました。また御殿は、内裏の正殿である紫宸殿になぞらえて造られており、庭前に左近桜,右近橘が植えられています。
頓證寺殿Dokudami(wiki CC 表示-継承 4.0)
1868年(明治元年)、明治天皇により崇徳天皇の御影が京都今出川白峯神宮に遷されました。これにより、頓證寺では天皇ご自身が書かれた六字名を御霊代として祀ることとなりました。
1878年(明治11年)には、頓證寺は金刀比羅宮の摂社「白峰神社」となります。その後20年間にわたり摂社として存続しましたが、1898年(明治31年)に白峯寺へと返還されました。同年、頓證寺殿の前にあった勅額門の源為義・為朝の像は金刀比羅宮へと移されており、現在は白峰神社の中門に安置されています。

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