反橋 | 厳島神社 - 神社ファン

有名度

横綱

厳島神社

いつくしまじんじゃ

広島県廿日市市宮島町1-1

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反橋

更新日:2026年10月15日

勅使のみ渡ることを許された橋

参拝順路に従って西廻廊を進むと、左手側に大きく弧を描く「反橋(そりばし)」が見えてきます。別名「勅使橋(ちょくしばし)」や「太鼓橋」とも呼ばれる橋で、長さ約24m、幅約4m。高欄は鮮やかな丹塗り、橋脚は墨塗りで仕上げられています。海上に建つ厳島神社の社殿群のなかでも、急な勾配を描く独特の姿が目を引く建造物です。
反橋がいつ最初に架けられたのかは明らかではありません。平清盛が厳島神社の社殿を整備した仁安年間(1166~1169)の造営記録には反橋の記載がなく、仁治年間(1240~1243)の記録に初めてその存在が確認されています。そのため、平清盛による造営当初から存在した橋ではなく、鎌倉時代までに設けられたと考えられています。
回廊から見える反橋
現在の反橋は1557年(弘治3年)、毛利元就と長男・毛利隆元の父子によって再建されたものです。高欄に取り付けられた擬宝珠のひとつには弘治3年の刻銘が残されており、現在の橋の年代を伝えています。その後も長い年月のなかでたびたび修理が行われ、橋板や高欄などは取り替えられながら現在まで受け継がれてきました。1899年(明治32年)には国の重要文化財に指定されています。
反橋は「勅使橋」の名が示すように、かつて天皇の使者である勅使が御本社へ参向する際に使用した特別な橋でした。御鎮座祭などの重要な祭典に勅使が訪れた際、この橋を渡って御本社へ向かったと伝えられています。現在の姿を見ると、そのまま歩いて渡ることが難しいほど急な勾配ですが、勅使が渡る際には橋の中央に臨時の階段を設けて通行したとされています。
反橋と空
橋が大きな弧を描く姿は、平坦な西廻廊と並べて見るとその高さがより際立ちます。現在は反橋を渡ることはできませんが、西廻廊から間近に見ることができます。丹塗りの高欄と黒い橋脚の色彩、弧を描く橋桁、擬宝珠など、社殿とは異なる造形にも注目です。
厳島神社には長橋や揚水橋など用途の異なる橋が残されていますが、反橋は天皇の使者を迎えるという特別な役割を担った橋です。鎌倉時代からその存在が確認され、戦国時代には毛利元就・隆元父子によって再建された反橋は、厳島神社と朝廷との関係、さらに毛利氏による社殿整備の歴史を現在に伝える貴重な建造物です。

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