大神社 和歌山県田辺市芳養町 - 神社ファン

有名度

前頭

大神社

だいじんじゃ

和歌山県田辺市芳養町1029番地

和歌山県田辺市芳養町1029番地

拝殿

KMR(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

大神社以外にも 芳養王子 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
大神社には

「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

伊勢・神明系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

大神社は和歌山県田辺市に鎮座する神社。御祭神は天照皇大御神、豐受姫大神の2柱をまつる。
社格は旧村社。
大神社の前身にあたる芳養王子は、熊野九十九王子の一つである。芳養王子は芳養川河口東岸の砂丘上に位置し、中世における熊野参詣の経路上に設けられた王子社として記録に現れる。
天仁2年(1109年)10月22日、『中右記』には「早王子」の名が見え、王子社において奉幣や納経が行われたことが記されている。建仁元年(1201年)10月12日には、後鳥羽上皇の熊野参詣に関する記録に「ハヤ王子」の名が見え、後鳥羽上皇が参詣の途中に奉幣の使を派遣したことが記録されている。
承元4年(1210年)4月27日、『民経記』には「羽屋」と記され、14世紀の文書『熊野縁起』には「羽野」、さらに文明5年(1473年)の『九十九王子記』には「ハヤ」と記されるなど、時代ごとに表記を変えながら記録に残されている。
正和3年(1314年)の社蔵棟札には「再興若一王子権現堂紀州牟婁郡芳養村鎮座」とあり、中世には若一王子とも称され、芳養村に鎮座する神社として祀られていたことが確認できる。寛政4年(1792年)の『田辺領神社書上帳』には、芳養王子の本地仏が十一面観音であったことが記されている。明治期の神仏分離に伴い社名が改められ、明治5年(1872年)に大神社と称するようになった。
境内には拝殿と鳥居があり、旧跡である芳養王子跡は昭和33年(1958年)4月1日に和歌山県指定史跡となっている。
芳養大神社の秋祭は、地元で「祭り」「秋祭り」と呼ばれ、例祭である御渡りは毎年10月第2日曜日に行われる。松原青年団による祭礼では、大神社、浦安神社、当家、若衆宿などを舞台として獅子舞が行われる。宵宮には街道を2つの獅子が進み、大神社で獅子舞が奉納される。例祭日には拝殿前で幣の舞、団獅子、寝獅子、天狗の舞、乱獅子、剣の舞などが順に奉納される。
  • 村社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E7%8E%8B%E5%AD%90_(%E7%94%B0%E8%BE%BA%E5%B8%82%E3%83%BB%E4%B8%8A%E5%AF%8C%E7%94%B0%E7%94%BA)