有名度
前頭都麻津姫神社
つまつひめじんじゃ
和歌山県和歌山市吉礼911番地
和歌山県和歌山市吉礼911番地

Saigen Jiro(wikipedia CC0)
かんたんご利益
御祭神
庁
主祭神
都麻津姫命 つまつひめのみこと
脇殿
五十猛命 いたけるのみこと
脇殿
大屋津姫命 おおやつひめのみこと
相殿
吉礼津姫命 不明
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。他に 「不明(3柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
都麻津姫神社は和歌山県和歌山市に鎮座する神社。御祭神は都麻津姫命、五十猛命、大屋津姫命、吉礼津姫命の4柱をまつる。
社格は名神大社(論社)であり、旧村社。
創建年代は不詳である。都麻津姫命は五十猛命・大屋津姫命とともに素戔嗚尊の子神にあたる神として伝えられる。『続日本紀』大宝2年(702年)の記事には、伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売の3社を分けて遷したことが記されている。大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』には、紀伊国の都麻頭比売神に13戸が給されたことが見える。貞観元年(859年)には、伊太祁曽神・大屋都比売神とともに神都摩都比売神が従四位下に昇った。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、紀伊国名草郡に「都麻都比売神社 名神大 月次新嘗」と記され、名神大社に列し、月次祭と新嘗祭の幣帛に預かる神社であった。
吉礼に鎮座する都麻津姫神社については、『紀伊国名所図会』や延享3年(1746年)の『南紀神社録』が、式内名神大社である都麻都比売神社に比定している。一方で『紀伊続風土記』はこれを否定し、当社を『紀伊国神名帳』に見える「従五位下 吉礼津姫神」を祀る神社とし、都麻都比売神は高積神社に比定している。
江戸時代には式内社「都麻津姫神社」として奉斎された。明治に入ると「吉礼津姫神社」に改称し、明治6年(1873年)に村社へ列した。その後、昭和21年(1946年)に旧称である都麻津姫神社へ復している。
本殿は流造である。例祭は10月14日である。主な神事として1月15日に小豆粥神事が行われる。境内には稲荷神社、弁財天社、祇園社、合祀社、川御前社、御霊社、祖甫社が祀られている。
社格は名神大社(論社)であり、旧村社。
創建年代は不詳である。都麻津姫命は五十猛命・大屋津姫命とともに素戔嗚尊の子神にあたる神として伝えられる。『続日本紀』大宝2年(702年)の記事には、伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売の3社を分けて遷したことが記されている。大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』には、紀伊国の都麻頭比売神に13戸が給されたことが見える。貞観元年(859年)には、伊太祁曽神・大屋都比売神とともに神都摩都比売神が従四位下に昇った。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、紀伊国名草郡に「都麻都比売神社 名神大 月次新嘗」と記され、名神大社に列し、月次祭と新嘗祭の幣帛に預かる神社であった。
吉礼に鎮座する都麻津姫神社については、『紀伊国名所図会』や延享3年(1746年)の『南紀神社録』が、式内名神大社である都麻都比売神社に比定している。一方で『紀伊続風土記』はこれを否定し、当社を『紀伊国神名帳』に見える「従五位下 吉礼津姫神」を祀る神社とし、都麻都比売神は高積神社に比定している。
江戸時代には式内社「都麻津姫神社」として奉斎された。明治に入ると「吉礼津姫神社」に改称し、明治6年(1873年)に村社へ列した。その後、昭和21年(1946年)に旧称である都麻津姫神社へ復している。
本殿は流造である。例祭は10月14日である。主な神事として1月15日に小豆粥神事が行われる。境内には稲荷神社、弁財天社、祇園社、合祀社、川御前社、御霊社、祖甫社が祀られている。
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神社詳細
摂末社・境内社
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例祭
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文化財
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建築
本殿 流造
神紋
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E9%BA%BB%E9%83%BD%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E9%BA%BB%E9%83%BD%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
