立神社 有田市 - 神社ファン

有名度

前頭

立神社

たてじんじゃ

和歌山県有田市野700番地

和歌山県有田市野700番地

かんたんご利益

  • 健康
  • 安全
立神社には

「健康系」「安全系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国土安泰 延命長寿 無病息災 海上安全

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(2柱)」 「熊野系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

立神社は和歌山県有田市に鎮座する神社。御祭神は大屋彦神、國常立神、伊弉諾尊、伊弉冊尊の4柱をまつる。
社格は旧郷社。
創建年代は確認できない。立神社は有田市野の西端、御殿山北麓に鎮座する。古伝では、この地は有田川の流れがぶつかる場所であり、巌の下に深い淵があり、その上に数丈に及ぶ奇巌が立っていたとされる。この岩は「立石」と呼ばれ、社名である立神の称もこれに由来すると伝えられている。また、この地には水主神が祀られていたとも伝えられる。
嘉応元年(1169年)、宮崎定範が宮崎郷を領し、この地に城を築いた。宮崎定範は立神社境内に新たな社殿を造営し、熊野十二柱の神を祀った。以後、宮崎氏は代々にわたり立神社を崇敬した。
天正年間(1573年?1591年)、豊臣氏による紀州攻めにより宮崎氏の居城は落城し、その際の兵火によって立神社の社殿も焼失した。その後、社殿は再建された。江戸時代に入ると紀州藩主の崇敬を受け、徳川光貞が石鳥居を寄進し、徳川治宝が扁額を奉納している。
明治6年(1873年)4月に村社へ列し、明治12年(1879年)6月28日に郷社へ昇格した。さらに明治40年(1907年)には周辺の無格社が合祀された。
本殿は二間社流造で、屋根は銅板葺である。境内には本殿のほか、熊野社、飛鳥社、鹿島神社などの摂社・末社が祀られている。例祭は10月16日に行われ、有田市宮崎町の飛瀧神社まで神輿渡御が行われる。
境内の社叢にはホルトノキ、バクチノキ、ヒメユズリハ、スダジイなどが繁茂する。この社叢は、ヤクシマルリシジミの和歌山県における最北端の分布記録地とされ、県の自然環境保全地域に指定されている。
  • 郷社
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 二間社流造銅板葺

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%9C%89%E7%94%B0%E5%B8%82)
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/