有名度
関脇熊野本宮大社
くまのほんぐうたいしゃ
和歌山県田辺市本宮町本宮1110番地
大斎原の大鳥居
更新日:2026年10月12日
日本一の高さを誇る大斎原の大鳥居
熊野本宮大社から約500m、歩いて10分ほどの場所にある旧社地「大斎原(おおゆのはら)」。その入口にそびえているのが、熊野本宮大社を象徴する巨大な大鳥居です。
大鳥居が建立されたのは、単に大斎原の入口を示すためだけではありません。建立趣旨には、人々の心が神や自然から離れつつあるなか、次の世代に「日本の心」がよみがえることを願い、新しい21世紀が神・自然・人の共生する時代となるよう、大斎原をその発信地とする願いが込められています。
平成12年(2000)5月11日に竣工したとされ、21世紀を迎える節目に、この巨大な鳥居が大斎原に建立されました。
明治の大水害によって多くの社殿を失った旧社地。その入口に新しい時代への願いを込めて建てられた大鳥居は、大きさだけではなく、その建立された意味にも注目したい熊野本宮大社の見どころです。
大鳥居に輝く金色の八咫烏
大鳥居を見上げると、額束の上には翼を広げた金色の八咫烏が掲げられています。
遠くから眺めると大鳥居そのものの巨大さに目を奪われますが、近くまで来ると金色に輝く八咫烏の姿を確認できます。大鳥居の全景だけでなく、中央に掲げられた神紋も見ておきたいポイントです。
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熊野の神が舞い降りたと伝わる大斎原
大鳥居をくぐった先に広がるのが、熊野本宮大社の旧社地・大斎原です。
大斎原は熊野川・音無川・岩田川の3つの川が合流する中洲にありました。この地には熊野の神々の降臨にまつわる伝承も残されています。
かつて中洲には大きな櫟(いちい)の木があり、その梢に3体の月が降臨したと伝えられています。熊野の神々がこの地に現れたという伝承を持つ大斎原は、熊野本宮信仰の原点ともいえる場所です。
田園のなかに立つ大鳥居をくぐり、木々に囲まれた旧社地へ進むと、周囲の雰囲気も大きく変わります。かつての壮麗な社殿は失われましたが、大斎原は現在も神域として大切に守られています。
約1万1千坪に広がっていた熊野本宮
かつての大斎原には、約1万1千坪にも及ぶ広大な境内が広がっていました。五棟十二社の社殿を中心に、楼門、神楽殿、能舞台などが建ち並び、現在の熊野本宮大社を大きく上回る規模を持つ神域でした。
江戸時代中期から後期に制作されたと伝わる「熊野本宮并諸末社図絵」には、12柱の神々を祀る社殿や上神楽所、大きな礼殿などが描かれており、往時の大斎原の姿を現在に伝えています。
しかし明治22年(1889)8月、大規模な水害が大斎原を襲います。洪水によって社殿の多くが倒壊・流失しました。
そのなかで水害を免れた上四社3棟は、明治24年(1891)に現在の熊野本宮大社が鎮座する場所へ移築・遷座されました。現在、神門の先に並ぶ第一殿から第四殿の御本殿が、大斎原に鎮座していた時代から受け継がれている社殿です。
一方、水害によって流失した中四社・下四社などは大斎原に残され、現在は旧社地に建てられた2基の石祠に祀られています。

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川を歩いて渡った熊野詣
かつての熊野詣を知るうえで、大斎原で特に興味深いのが参拝方法です。江戸時代まで、大斎原のある中洲へ渡るための橋は架けられていませんでした。熊野詣の参拝者たちは、音無川を自分の足で歩いて渡って神域へ向かいました。
川を渡る際に足を濡らすことには、身を清める意味があったとされています。参拝者は音無川で最後の水垢離を行い、身を清めてから大斎原の神域へ入りました。
こうした参拝は「濡藁沓(ぬれわらぐつ)の入堂」と呼ばれたと伝えられています。
険しい熊野古道を歩き、最後に音無川を渡って身を清め、その先にある熊野本宮の神域へ入る。現在は川を渡ることなく参拝できますが、かつての参拝者にとっては、大斎原へ入る最後の道のりそのものが禊の一部でした。
桜や稲田とともに眺める大鳥居
大斎原と大鳥居は、季節によって周囲の景色が大きく変わるのも魅力です。
大鳥居の周囲には水田が広がっています。田に水が張られる時期には水面に大鳥居や空が映り込み、その後、稲が成長すると周囲は鮮やかな緑へと変わります。

高さ33.9mの大鳥居、そこに掲げられた金色の八咫烏、熊野の神々が降臨したと伝わる旧社地、そして約1万1千坪の境内に社殿が建ち並んでいた往時の熊野本宮。現在の熊野本宮大社を参拝したなら、大鳥居を見るだけで引き返さず、その先にある大斎原まで歩いて参拝したいところです。
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