大直禰子神社 | 大神神社 - 神社ファン

有名度

関脇

大神神社

おおみわじんじゃ

奈良県桜井市三輪1422

😞 🙁 😐 🙂 😄

大直禰子神社

更新日:2026年9月29日

大物主大神のご神孫を祀る「若宮社」

御本社から北西の方角に、大神神社の摂社「大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)」が鎮座しています。「若宮社」とも呼ばれる神社です。
御祭神は、大物主大神のご神孫とされる大直禰子命(おおたたねこのみこと)。大神神社で最初に大物主大神をお祀りした祭主として、大神神社の信仰において重要な神様です。大直禰子神社の歴史も古く、第13代成務天皇の御代に、大三輪君大友主が霊夢によって社を創祀したと伝えられています。
大直禰子命は『古事記』『日本書紀』にも登場します。
第10代崇神天皇の御代、疫病が流行して国が混乱した際、大物主大神の神意によって大直禰子命が探し出され、祭主として大物主大神をお祀りしました。すると疫病が収まり、国に平安が戻ったと伝えられています。
この故事は現在の大神神社の祭祀にも受け継がれており、毎年4月に行われる大神神社最大の祭典「春の大神祭」の起源となっています。
大直禰子神社 鳥居

寺院の本堂の姿を残す重要文化財の社殿

大直禰子神社でまず注目したいのが、一般的な神社建築とは大きく異なる社殿です。
桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺の大きな建物で、神社の本殿というより寺院の本堂を思わせる姿をしています。
それもそのはずで、この建物は明治時代の神仏分離以前、大神神社の神宮寺「大御輪寺(だいごりんじ)」の堂として使用されていた建物です。
社殿は内陣と外陣からなり、内陣は奈良時代、外陣は鎌倉時代前期の建築とされています。1901年(明治34年)8月2日には国の重要文化財に指定されました。
神仏習合の時代、大神神社の周辺には複数の神宮寺が設けられました。その中でも大御輪寺は、奈良時代中頃に設けられた大神神社最古の神宮寺とされています。当初は「大神寺(おおみわでら)」と呼ばれ、後に大御輪寺と称するようになりました。
現在の大直禰子神社の社殿は、大神神社における神仏習合の歴史を建物そのものに残す、非常に貴重な存在です。
大直禰子神社 社殿
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国宝・十一面観音が祀られていた大御輪寺

神仏習合の時代、大御輪寺の本尊としてお祀りされていたのが、現在は桜井市の聖林寺に安置されている国宝「十一面観音立像」です。
十一面観音像は奈良時代の木心乾漆像で、760年代に東大寺の造仏所で造られたと考えられています。願主は天武天皇の孫にあたる智努王とする説が有力です。
現在は一体の十一面観音像として拝観できますが、大御輪寺にあった頃は、さらに壮麗な空間の中でお祀りされていました。
大御輪寺の縁起によると、十一面観音の周囲には四天王をはじめとする多くの仏像が並び、前立観音も安置されていました。さらに背後には薬師如来一万体が描かれた板絵が置かれ、光背や天蓋などとともに荘厳されていたと伝えられています。
現在、法隆寺に伝わる国宝「地蔵菩薩立像」も、かつて大御輪寺にあり、十一面観音の左脇侍として安置されていたと伝えられています。
大直禰子神社の現在の姿からは想像しにくいものの、かつてこの場所には数多くの仏像が並ぶ壮麗な仏堂が存在していたのです。
聖林寺663highland(wikipedia CC 表示 2.5)

大直禰子命の故事を伝える「春の大神祭」

大直禰子神社と御祭神・大直禰子命の重要性を現在に伝えているのが、毎年4月8日から10日に行われる「春の大神祭」です。
4月8日には大直禰子神社で若宮例祭が行われ、大直禰子命の御分霊が御本社の拝殿へ遷されます。翌9日には大神神社で最も重要な祭典である大神祭が斎行され、午後には大直禰子命の御分霊を乗せた神輿を中心とする「若宮神幸祭」が行われます。
これは崇神天皇の御代、大直禰子命を祭主として大物主大神を篤くお祀りしたことで疫病が収まり、国に平安が戻ったという故事に基づく祭りです。
普段は御本社から少し離れた場所に静かに鎮座する大直禰子神社ですが、大神神社最大の祭典では、その御祭神である大直禰子命が重要な役割を担います。
大直禰子命の神話、神仏習合時代の大御輪寺、国宝・十一面観音、そして現在まで続く春の大神祭。大直禰子神社は、古代から現代まで続く大神神社の信仰と歴史を一つの場所で感じられる摂社です。

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