国宝 拝殿・本殿 | 石上神宮 - 神社ファン

有名度

関脇

石上神宮

いそのかみじんぐう

奈良県天理市布留町384

国宝 拝殿・本殿

更新日:2026年5月28日

拝殿

石上神宮の拝殿は、日本最古級の拝殿建築として知られる国宝であり、石上神宮を代表する建造物のひとつです。1081年(永保元)、石上神宮を崇敬していた第72代・白河天皇が、鎮魂祭のために宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進したものと伝えられています。
建立年代には諸説ありますが、現在の拝殿は鎌倉時代初期の建築と考えられています。1470年(文明2)・1684年(貞享元)・1733年(享保18)・1740年(元文5)・1798年(寛政10)・1859年(安政6)に修補や屋根替が行われたことを伝える棟札も残されています。
石上神宮 拝殿
拝殿は桁行7間、梁間3間の規模を持つ入母屋造・檜皮葺(ひわだぶき)の建築で、正面には向拝が設けられています。内部は外陣・内陣に分かれ、深い軒を支える柱列や檜皮葺の屋根には、平安時代後期の建築様式が色濃く残されています。
また、石上神宮の拝殿は一般的な神社拝殿とは異なる特徴を持つことでも知られています。建築様式や平面構成から、神仏習合時代の礼殿系建築と考えられており、石上神宮が中世まで神宮寺を伴っていた歴史を今に伝えています。
石上神宮では、大正時代に現在の本殿が造営されるまで本殿が存在せず、拝殿後方の禁足地を「御本地(ごほんち)」と称して主祭神を埋斎し、ほかの神々は拝殿に配祀していたと伝えられています。そのため拝殿は、長く石上神宮の祭祀の中心を担ってきました。
石上神宮 拝殿 横
拝殿は1906年(明治39)に特別保護建造物に指定され、1954年(昭和29)には国宝に指定されています。現在も石上神宮の重要な祭祀空間として大切に守られており、通常は外部から参拝する形式となっています。なお、拝殿で祭典が行われる際の御祈祷は、参道北側の儀式殿で行われています。
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本殿

石上神宮の本殿には、御神体である神剣・韴霊(ふつのみたま)がお祀りされています。現在の本殿が建立されたのは大正時代で、それまで石上神宮には現在のような本殿は存在していませんでした。
古代の石上神宮では、拝殿後方に広がる禁足地そのものが祭祀の対象とされており、「御本地(ごほんち)」と称して主祭神を埋斎していたと伝えられています。この禁足地は「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」とも呼ばれ、古くから神聖な霊域として立ち入りが禁じられてきました。
転機となったのが、1874年(明治7)に行われた禁足地の調査です。「御神体である神剣・韴霊が禁足地の土中に埋斎されている」という伝承をもとに、大宮司・菅政友によって発掘調査が行われました。その結果、多くの玉類や剣、鉾などの神宝が出土し、神剣・韴霊も顕現したと伝えられています。
また、この調査では、後に国宝となる「七支刀(しちしとう)」をはじめとする貴重な神宝類も出土しました。七支刀は刀身左右に3本ずつ枝刃を持つ特異な鉄剣で、『日本書紀』に記される百済献上の「七枝刀」と考えられています。神剣・韴霊とともに出土した神宝類の多くは、現在重要文化財に指定されています。
こうした禁足地発掘を経て、1910年(明治43)から1913年(大正2)にかけて現在の本殿が建立されました。本殿造営に際しては、禁足地が北側へ拡張され、拝殿西側にあった神庫(ほくら)も禁足地内へ移築されています。また、本殿と拝殿の間には、神剣・韴霊が顕現した場所を示す目印の石が置かれました。
現在も禁足地は石上神宮で最も神聖な場所として大切に守られており、一般の立ち入りは禁止されています。本殿は、古代から続く禁足地信仰と神剣祭祀を今に伝える、石上神宮信仰の中心的存在となっています。
石上神宮 本殿

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