春日若宮おん祭 | 春日大社 - 神社ファン

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大関

春日大社

かすがたいしゃ

奈良県奈良市春日野町160

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春日若宮おん祭

更新日:2026年9月27日

大和一国の大祭

春日若宮おん祭は、春日大社の摂社「若宮神社」の祭礼です。大和一国をあげて開催される盛大な祭りで、現在は12月15日から18日にかけて主要な祭事が行われます。
その始まりは平安時代の保延2年(1136)。当時は長年にわたる大雨と洪水によって飢饉が相次ぎ、疫病も蔓延していました。そこで関白・藤原忠通らが、水徳の神として信仰されていた若宮さまの御神助を願い、前年の長承4年(1135)に現在地へ若宮の御殿を造営。翌年9月17日に若宮さまの御神霊を春日野へ迎えて祭礼を行ったのが、おん祭の始まりとされています。
その後、長雨と洪水は収まり晴天が続いたと伝えられ、以後は天下泰平、五穀豊穣、万民和楽を祈る大和一国の大祭として続けられてきました。祭日は時代によって変わりましたが、約900年にわたって途絶えることなく受け継がれています。
昭和54年(1979)には「春日若宮おん祭の神事芸能」が国の重要無形民俗文化財に指定されました。
春日若宮おん祭行列NNDDD(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
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おん祭のながれ

12月15日には「大宿所祭(おおしゅくしょさい)」が行われます。
大宿所は、おん祭に奉仕する大和士(やまとざむらい)が精進潔斎を行う参籠所です。現在の大宿所は、豊臣秀長が南都奉行に命じて興福寺遍照院跡の現在地に設けさせたと伝えられています。戦国時代に開催が不安定になっていたおん祭は、天正13年(1585)に大和へ入った秀長の支援によって復興されました。
大宿所では巫女による「御湯立」が行われ、笹で湯を振りまいて祭りの奉仕者や参拝者を祓い清めます。このとき湯立巫女が腰に巻く藁縄「サンバイコ」は安産の霊験があるとされ、現在も妊産婦の信仰を集めています。
庭には若宮さまへの奉賽として、雉・鮭・鯛などを吊るした「懸物」が並び、大宿所内にはおん祭で使用する装束や武具、祭具などが所狭しと並べられます。地元商店街の人々によって名物の「のっぺ汁」が振る舞われるのも大宿所祭ならではの光景です。
16日の夕方には「宵宮祭」が行われます。大宮と若宮におん祭の無事執行を祈願し、若宮の神前には「御戸開の神饌」と呼ばれる古式の神饌が供えられます。
17日の午前0時になると、おん祭を象徴する神秘的な神事「遷幸の儀(せんこうのぎ)」が始まります。
若宮さまを若宮御本殿から御旅所の御仮殿へお遷しする儀式で、境内の灯りはすべて消されます。浄闇のなか、大松明や香によって道を清め、神職たちは榊で若宮さまを幾重にも囲み、「ヲー、ヲー」という警蹕の声を発しながら御旅所へと進みます。
非常に神聖な儀式であるため拝観場所には制限があり、撮影や灯火も禁止されています。御旅所に到着すると、午前1時頃から「暁祭(あかつきさい)」が始まります。若宮さまへ海川山野の品々や古式の「素合の御供」などを供え、御幣、祝詞に続いて社伝神楽が奉納されます。
正午からは「御渡り式(おわたりしき)」が行われます。おん祭に参勤する芸能集団や祭礼に関わる人々が華やかな時代行列を組み、奈良の市街地を練り歩きます。
その規模は奉仕者約1,000人、馬約50頭。平安時代から江戸時代まで、それぞれの時代の風俗を取り入れた装束を見ることができ、おん祭最大の見どころのひとつです。
この行列で中心的な役を務めるのが「日使(ひのつかい)」です。祭りを始めた藤原忠通が参向の途中で急病となり、お供の楽人にその日の使いを務めさせたことが始まりと伝えられています。現在も関白の格式を表す重要な役として御渡り式の中心を担います。
行列は奈良県庁前を出発し、近鉄奈良駅前、三条通を通って一の鳥居から春日大社の参道へ入ります。
春日若宮おん祭 お仮殿前の芝舞台で奉納される舞Lovelin6th(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
参道の影向の松の前では「松の下式」が行われます。影向の松は、春日大明神が翁の姿で現れ、萬歳楽を舞ったと伝えられる場所です。中世の楽書『教訓抄』にもこの伝承が記されており、能舞台の鏡板に描かれる松のモデルともいわれています。
松の下式では、御渡り式に参加する芸能者たちが松の前で芸能の一節を奉納します。
参道では「三双の競馬」や、子どもたちによる「稚児流鏑馬」も行われます。競馬は馬出橋から御旅所前の勝負榊までを舞台に行われ、稚児流鏑馬では騎馬の稚児が一の鳥居内の参道を駆け抜けながら的を射ます。
御渡り式の後は、おん祭の中心となる「御旅所祭」が始まります。
御旅所祭の幕開けとなるのが「埒開けの儀」です。「埒が明かない」という言葉については、江戸時代の辞典『諺草』に、この埒開けの儀を語源とする記述が残されています。
御仮殿の神前には古式の神饌をはじめ、さまざまな供物が奉られます。
その南側には約9m四方の芝舞台が設けられ、若宮さまへ社伝神楽、東遊、田楽、細男、猿楽、和舞、舞楽など、日本古来のさまざまな神事芸能が奉納されます。
春日若宮おん祭 松の下式Lovelin6th(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
なかでも「細男(せいのお)」は、白い布で顔を覆った舞人が小鼓などを用いて舞う非常に古い芸能です。春日若宮おん祭に伝わる細男は、日本の芸能史上でも他に遺例のない貴重なものとされています。
また日使の行列に加わる「十列児(とおつらのちご)」と呼ばれる4人の少年は、御旅所で「東遊(あずまあそび)」を舞います。
御旅所祭の終盤には舞楽が奉納され、その曲数は11曲にも及びます。こうした多彩な神事芸能を芝の上で拝観したことから「芝居」という言葉が生まれたともいわれています。
芝舞台の前には左右一対の巨大な「鼉太鼓(だだいこ)」が置かれ、おん祭を象徴する光景となっています。
すべての神事芸能が終了すると、23時頃から「還幸の儀(かんこうのぎ)」が始まります。
御旅所から若宮御本殿へ若宮さまをお遷しする儀式で、遷幸の儀と同じく暗闇のなかで行われます。遷幸では「慶雲楽」が奏されるのに対し、還幸ではテンポの速い「還城楽」が奏されるという違いもあります。
若宮さまが御旅所で一夜を明かすことはありません。必ず18日に日付が変わる午前0時までに若宮御本殿へお戻りになります。
翌18日には奉納相撲や後宴能(ごえんのう)が行われます。現在の後宴能では能2番と狂言1番が奉納され、4日間にわたる主要な祭事が締めくくられます。
約900年もの間、一度も途絶えることなく受け継がれてきた春日若宮おん祭。神事だけでなく、平安時代以来の芸能や武芸、装束、祭礼文化を現在に伝えていることから、日本の芸能史をそのまま今に伝える「生きたタイムカプセル」ともいえる祭りです。

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