有名度
大関春日大社
かすがたいしゃ
奈良県奈良市春日野町160
水谷神社
更新日:2026年9月27日
病気平癒のご神徳がある「水谷神社」
御本殿から北へ進んだ先、水谷川沿いには春日大社の摂社「水谷神社(みずやじんじゃ)」が南に面して鎮座しています。水谷川は神々が鎮まる春日山から流れ出す聖流です。古くから神に捧げる水が汲まれ、下流には禊を行う場所もあったと伝えられています。水谷神社は上水谷・中水谷・下水谷の下社に相当し、水に対する古い信仰と深く結びついたお社です。
平安時代後期の長承2年(1133)に作成された『長承注進状』にも記録が残されており、春日大社のなかでも長い歴史を持つ神社のひとつです。
社殿は三間社流造で、前方に拝殿が設けられ、屋根は檜皮葺です。本殿の下には漆喰で白く塗り固められた磐座があり、西側の瑞垣越しに見ることができます。社殿だけでなく、その下に古い信仰の対象とされる磐座が存在することにも注目です。
水谷神社は御本殿、若宮神社に次いで格式の高いお社として篤く信仰されてきました。また京都の八坂神社との深い関係を伝える説もあり、八坂神社の本祀ともいわれています。

牛頭天王として信仰された疫病除けの神
御祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)、大巳貴命(おおなむちのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の3柱です。平安時代から幕末までの神仏習合の時代には「牛頭天王(ごずてんのう)」と称され、祇園精舎の守護神、医薬の神として篤く崇敬されてきました。
古くから霊験あらたかな神様として知られ、難病や疫病を封じ、病気平癒や子授けを願う人々から信仰を集めてきました。また地相・家相などから生じる災いを取り除き、福徳円満へ導いてくださる神様としても信仰されています。
鎌倉時代後期に描かれた国宝『春日権現験記絵』にも、水谷の神様にまつわる説話が残されています。御本社第四殿にお祀りされる比売神が、戒めのため興福寺の僧侶に病苦を与えるよう水谷の神様へ命じたという内容です。
病を与えるほどの力を持つ神様だからこそ、反対に病を鎮める強い力も持つと考えられました。水谷神社が長く病気平癒の神様として信仰されてきた背景を感じさせる説話です。

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疫病を鎮める「水谷神社鎮花祭」
毎年4月5日には例祭「水谷神社鎮花祭」が斎行されます。春に花が散る頃は、古くから疫病が流行しやすい時期と考えられていました。花が散るのとともに疫神が活動すると考えられ、その疫神を鎮めて人々の無病息災を祈るのが鎮花祭です。
水谷神社が牛頭天王、医薬の神として信仰されてきた歴史とも深く結びついた祭典で、現在も毎年4月5日の午前10時から神事が行われ、午後には狂言が奉納されています。
病気平癒を願う信仰が単に伝承として残っているのではなく、疫病を鎮める祭りとして現在まで受け継がれているところも、水谷神社の大きな特徴です。
子宝に恵まれる「子授け石」
水谷神社の拝殿前には「子授け石」と呼ばれる神石があります。「陰石」とも呼ばれ、向かい側に生えている陽木「槙柏」と一対になって信仰されています。古くからこの神石を清い布で拭き清めると、子宝に恵まれると伝えられてきました。

子授けのほか、夫婦和合や縁結びの霊験もあるとされます。本殿を参拝した際には、拝殿前の子授け石と向かい側の槙柏を一緒に確認してみてください。

水谷九社めぐりの第4番納札社
水谷神社は現在、春日大社の「開運招福水谷九社めぐり」の第4番納札社となっています。春日山から流れ出す水谷川は、やがて吉城川、佐保川へと名前を変えながら奈良の地を潤してきました。その聖なる水の流れに沿って鎮座する9つのお社を巡り、開運招福を祈願するのが水谷九社めぐりです。
総宮神社、一言主神社、龍王社に続いて参拝するのが水谷神社です。古くから病気平癒や子授けを願う人々が訪れてきた水谷神社は、水谷九社めぐりのなかでも生命や健康と深く結びついたお社といえます。
聖流水谷川、社殿下の磐座、牛頭天王の信仰、疫病を鎮める鎮花祭、そして子授け石。水谷神社には、水と生命、病気平癒にまつわる古い信仰が現在まで重なって残されています。春日大社の御本殿から少し北へ足を延ばしてでも参拝したいお社です。

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