有名度
大関春日大社
かすがたいしゃ
奈良県奈良市春日野町160
若宮神社
更新日:2026年9月27日
御本社本殿と同じ春日造の本殿
南門から御間道(おあいみち)を東南へ進んだ先には、若宮神社が鎮座しています。現在は春日大社の摂社ですが、かつては御本社本殿と同格に扱われていました。式年造替も御本社本殿と同じ20年ごとの周期で執り行われていました。明治時代に入ると若宮神社は摂社に位置付けられたため、造替は式年ではなくなり、不定期の修繕という形で行われるようになりました。その後、2022年に行われた第43次若宮御造替から、約120年ぶりに20年に一度の式年造替へと戻されています。

本殿は西向きに建てられ、その前には鳥居、周囲には瑞垣が設けられています。さらに前方には拝舎、御廊と細殿および神楽殿、南側には手水屋が配置されています。
明治34年(1901)には国の重要文化財に指定されました。御本社本殿と同じ春日造の社殿を間近に見ることができるのも、若宮神社の大きな見どころです。
御祭神・ご利益
若宮神社にお祀りされている天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)は、御本社第三殿の天児屋根命と第四殿の比売神の御子神です。奈良で誕生した神様とされ、春日大社5番目の神として「五所御子(ごしょのみこ)」とも呼ばれています。若宮様が誕生したのは長保5年(1003)3月3日の巳の刻と伝えられています。『長承注進状』には、第四殿の大床に水の塊のようなものが現れ、そこから神様が出現して第四殿内へ入っていったという不思議な誕生の様子が記されています。この出現の様子から、五所御子は水を司る神様としても信仰されてきました。
誕生後はしばらく第四殿の相殿としてお祀りされていましたが、長久2年(1041)3月1日の卯の刻、五所御子に神饌がお供えされていないことから春日大神がお怒りになったと伝えられています。そのため第二殿と第三殿の間にある獅子の間に五所御子をお祀りし、神饌をお供えしたことが『中臣祐賢春日御社縁起注進文』に記されています。
平安時代後期になると、気候不順による凶作や疫病などが相次ぎ、世の中が不安定になります。そこで若宮様の強い霊験によって人々を救っていただこうと、関白・藤原忠通を中心として新しい社殿が造営されました。
長承4年(1135)2月27日、若宮様は現在地へ遷座。この日には鳥羽上皇も春日へ御幸し、藤原忠通やその父・藤原忠実をはじめ多くの人々が随従するなか、盛大な儀式が行われました。
若宮様は凶作や疫病などの災いを祓い、人々を救う神様として篤く信仰されてきました。現在は生命力を増進させ、正しい知恵を授けてくださる神様として、また個人の願いを叶えてくださる神様として広く信仰を集めています。

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日本最古の神楽殿
若宮神社の手前にある神楽殿も、大きな見どころのひとつです。若宮神社の神楽殿は日本最古の神楽殿とされ、明治34年(1901)には国の重要文化財に指定されています。
Saigen Jiro (wikipedia CC0)かつての神楽殿には御巫が常駐しており、個人の願いを託した御巫神楽の奉納が連日行われていました。


御巫神楽は「社伝神楽」として現在まで受け継がれており、若宮神社の祭典などで奉納されています。日本最古とされる建物だけでなく、個人の願いを神様へ届けてきた祈りの歴史にも注目です。
若宮大楠
神楽殿から道を挟んだ反対側には「若宮大楠」がそびえています。幹周は約11m、樹高は約24mにも及び、奈良県内でも有数の巨樹として知られています。かなりの老木であり、神功皇后がお手植えされたという伝説も残されています。
江戸時代中頃には大雪によって木の上部が折れたと伝えられており、その影響によって現在のような独特の樹形になったと考えられています。また、3本のクスノキがひとつに合わさって成長したという説も伝えられています。

若宮神社の社殿、日本最古とされる神楽殿とともに、長い年月にわたって若宮の地を見守ってきた若宮大楠にも注目してみてください。
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