飛火野 | 春日大社 - 神社ファン

有名度

大関

春日大社

かすがたいしゃ

奈良県奈良市春日野町160

😞 🙁 😐 🙂 😄

飛火野

更新日:2026年9月28日

鹿が生息する自然豊かな「飛火野」

一の鳥居から表参道をまっすぐ進んだ先には、右手に飛火野(とびひの)と呼ばれる広大な芝生の原が広がります。春日大社の神体山である御蓋山を望むことができる、大変見晴らしの良いスポットです。
飛火野
周囲には春日の森が広がり、四季折々の自然を楽しむことができます。また神の使いでもある鹿が多く生息するスポットでもあり、広々とした芝生の上で草を食べたり、木陰で休んだりする鹿の姿を間近で見ることができます。
飛火野の芝生と鹿には深い関係があります。鹿が芝や草を食べ、その糞が芝の栄養となることで、奈良公園独特の美しい芝生の景観が保たれています。

飛火野の大楠

飛火野には「飛火野の大楠」と呼ばれる大きなクスノキがあります。1908年(明治41年)に奈良県で行われた陸軍大演習の後、飛火野で催された饗宴に明治天皇が臨席され、その玉座跡に記念植樹されたクスノキです。
飛火野の大楠
遠くから見ると一本の大木に見えますが、実際には3本のクスノキが寄り添って立っています。樹齢は約100年とされ、樹高は23.5m。3本のうち最大の幹周は4.83mにもなり、広々とした飛火野を象徴する大木となっています。

「飛火野」の名前の由来

飛火野は、古くは「とぶひの」とも呼ばれていました。その名前の由来にはいくつかの説があります。
春日大社の祭神である鹿島大明神が春日の地へやって来た際、お供をしていた八代尊(やしろのみこと)が暗闇を照らすために口から火を吐いたところ、その炎が飛ぶように燃え続けたことから「飛火野」と呼ばれるようになったという伝承があります。
また「飛火」は、古代に情報を伝達するために使われた烽火(のろし)を意味し、この地に烽火を上げる施設が置かれていたことに由来するという説もあります。
飛火野一帯は、御蓋山を仰いで祭祀が行われた古代からの信仰の地でもありました。一方で、古くから人々が集い、さまざまな遊びを楽しむ場所でもありました。
万葉の時代には貴族たちが「打毬(だきゅう)」と呼ばれるポロに似た球技を楽しんだとされ、平安時代には若菜摘みや花見などが行われました。王朝人にとって春日野は憧れの行楽地でもあったのです。
飛火野の一角には「雪消の沢(ゆきげのさわ)」もあります。雪が消える早春の摘草の名所として古くから知られ、和歌にも詠まれてきました。現在の広々とした芝生の風景だけでなく、古代から信仰や遊楽の舞台となってきた長い歴史も飛火野の大きな魅力です。
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奈良の風物詩「鹿寄せ」

飛火野では、鹿の保護活動を行う「奈良の鹿愛護会」によって、奈良の風物詩として知られる伝統行事「鹿寄せ」が行われます。
通常は予約制の有料イベントとして実施されていますが、観光キャンペーンなどによって期間限定の無料鹿寄せが開催されることもあります。
鹿寄せで集まった鹿
ナチュラルホルンが吹き鳴らされると、その音色に誘われるように森の奥からたくさんの鹿が一斉に駆けてきます。集まった鹿たちには、ご褒美としてどんぐりが与えられます。鹿寄せが始まったのは1892年(明治25年)。鹿苑の竣工奉告祭でラッパを使って鹿を集めたのが始まりとされています。その後、戦争による中断を経て1949年(昭和24年)に復活しました。
現在使われているナチュラルホルンでは、ベートーベン作曲の交響曲第6番「田園」第5楽章の一節が奏でられています。ホルンの音を聞いて森の中から鹿が次々と集まってくる光景は、奈良でしか見ることのできない風景です。ぜひ一度体感してみてください。

鹿だらけ

鹿寄せを利用しなくても、飛火野や表参道にはたくさんの鹿がいます。芝生の上でのんびり過ごす鹿もいれば、鹿せんべいを持った観光客を見つけて近寄ってくる鹿もいます。
鹿せんべいを欲しがる鹿が、お辞儀をするように頭を上下させる姿もよく見られます。国内外から訪れた観光客が鹿せんべいをあげる光景は、現在の飛火野を代表する風景のひとつです。
ただし、奈良公園の鹿は飼育されている動物ではなく、国の天然記念物「奈良のシカ」に指定されている野生動物です。鹿せんべいを与える際はじらしたり追いかけたりせず、適度な距離を保って楽しんでください。
鹿せんべい

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