有名度
大関春日大社
かすがたいしゃ
奈良県奈良市春日野町160
見どころ溢れる参道
更新日:2026年9月28日
表参道
一の鳥居からはしばらく真っ直ぐな参道が続きます。この参道は、昔は馬場としても用いられました。また藤原氏の貴族たちが華やかな行列を整えて進んだ道でもあり、幅も広いです。馬場としての歴史は古く、平安時代前期に編纂された『貞観儀式』や貴族の日記などには、春日祭で行われた走馬についての記録が残されています。『権記』や『御堂関白記』には、藤原道長の春日詣に際して走馬や競馬が奉納されたことも記されています。現在も春日若宮おん祭では、この表参道を舞台に競馬や稚児流鏑馬が行われます。

影向の松
一の鳥居をくぐると右手には影向の松(ようごうのまつ)があります。春日大社の祭神が松の木に姿を現したという伝承が残る神聖な場所で、中世の楽書『教訓抄』には、春日大明神が翁の姿で現れて萬歳楽を舞う姿を僧侶の教円が見たという伝承が記されています。1309年(延慶2年)に奉納された『春日権現験記』にも描かれた歴史のある古い松でしたが、1995年(平成7年)に枯れたため、現在は切り株が残され、そのそばで後継樹が育てられています。この影向の松は、能舞台の鏡板に描かれる松のルーツともいわれています。12月17日の春日若宮おん祭では、御渡り式の途中に「松の下式」が行われ、陪従・細男・猿楽・田楽などが松の前でそれぞれ芸能を奉納してから御旅所へ向かいます。春日大社と日本の芸能文化との深い関わりを伝える場所です。

馬出橋
しばらく進むと小さな橋があります。こちらは「馬出橋(まだしのはし)」といい、競馬(くらべうま)や流鏑馬(やぶさめ)の出発点となったことから、この名で呼ばれています。現在も12月17日の春日若宮おん祭では、馬出橋から御旅所前の勝敗榊まで競馬が行われます。2頭ずつの馬が3回、計6頭で競う「三双の競馬」で、その後には一の鳥居から馬出橋周辺を舞台として稚児流鏑馬も行われます。小さな橋ですが、石の柱に「馬出橋」と刻まれているので、参道を歩く際に探してみてください。

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ムクロジの木
馬出橋を進むと左手に大きなムクロジの木があります。こちらの木は幹の中が空洞になっていて、その空洞から竹が伸びている珍しい姿をしています。秋には黄褐色で半透明の果実が実ります。果皮には石鹸と同じような働きをする成分が含まれており、かつては石鹸の代用品などとして利用されました。果実の中には黒く硬い種子があり、羽根突きの羽根の下につける重りや数珠などにも使われてきました。春日大社公式でも紹介されている、表参道でぜひ注目したい大木です。

御旅所
ムクロジの先には左手に御旅所(おたびしょ)があります。12月に行われる春日若宮おん祭の中心的な祭典「御旅所祭」がここで行われます。12月17日午前0時、若宮の御神霊は若宮御本殿から約1キロ離れた御旅所へ遷られます。御旅所には若宮様をお迎えする行宮(御仮殿)が設けられ、その前には約5間(9メートル)四方の芝舞台が設けられます。午前1時頃には暁祭、午後2時30分頃からは御旅所祭が斎行され、神楽・東遊・田楽・細男・猿楽・和舞・舞楽など、さまざまな神事芸能が夜まで奉納されます。
この芝舞台は「芝居」という言葉の語源になったともいわれています。芝の上で芸能を奉納し、それを芝の上で拝観したことから「芝居」という言葉が生まれたと春日大社では伝えています。
また御旅所の向かって右側には「長蔵」があります。若宮おん祭に用いられる建物で、明治初年に興福寺旧大乗院の建物を移築したものです。現在の建物は2007年(平成19年)に全面的に改築され、平常時には講演会や文化行事などにも利用されています。

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