有名度
関脇生田神社
いくたじんじゃ
兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目2番1号
諏訪神社・日吉社
更新日:2026年8月11日
生田神社の本殿左側には、諏訪神社と日吉神社の二つの境内社が並んで鎮座しています。本殿右側の住吉神社・八幡神社と対になるように祀られており、通常は拝殿内にあるため間近で参拝したり撮影したりすることはできません。本殿の両脇に鎮座する四社のうち、左側に祀られている二社です。
お祀りされているのは、武御名方命(たけみなかたのみこと)です。国づくりの神として知られる大国主命の御子とされています。
『古事記』の国譲りでは、天上の神々が大国主命に国を譲るよう迫りました。武御名方命は、千人がかりで引くほどの大岩を軽々と手にして現れ、使者の建御雷神(たけみかづちのかみ)に力くらべを挑んだと言われています。しかし勝負に敗れると、信濃国(現在の長野県)の諏訪湖まで退き、この地から出ないと誓って、諏訪の神としてとどまりました。この力くらべは相撲の起源とも伝えられています。のちの世には軍神として名だたる武将の崇敬を集め、力の神、農耕や狩猟を守る神としても広く信仰されるようになりました。
大山咋命は豊作を司る大年神の御子で、須佐之男命の孫にあたる神様です。
名前の「くい」は、土地の境を示すために打つ杭を意味するといわれています。大きな山に杭を打つ神、すなわち山の所有者を表すことから、大山咋命は山の地主神と考えられてきました。あわせて、農耕や治水の神ともされます。『古事記』では山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)という別名を持ち、近江国(現在の滋賀県)の日枝山、のちの比叡山に鎮まる神と記されています。そのため全国の日吉神社や日枝神社の御祭神として広く信仰され、生田神社でも農工業や五穀豊穣、地域の繁栄を願う神として大切に祀られています。
本殿左側に鎮座する諏訪神社と日吉神社は、それぞれ力や武運、そして農耕や五穀豊穣を司る神々です。主祭神・稚日女尊とともに、生田神社の信仰を支える大切な境内社として、地域の平安と人々の暮らしを見守り続けています。

諏訪神社
本殿向かって左側に鎮座するのが、諏訪神社です。朱色の小さなお社で、農耕狩猟や武運長久、そして力の神として信仰されてきました。お祀りされているのは、武御名方命(たけみなかたのみこと)です。国づくりの神として知られる大国主命の御子とされています。
『古事記』の国譲りでは、天上の神々が大国主命に国を譲るよう迫りました。武御名方命は、千人がかりで引くほどの大岩を軽々と手にして現れ、使者の建御雷神(たけみかづちのかみ)に力くらべを挑んだと言われています。しかし勝負に敗れると、信濃国(現在の長野県)の諏訪湖まで退き、この地から出ないと誓って、諏訪の神としてとどまりました。この力くらべは相撲の起源とも伝えられています。のちの世には軍神として名だたる武将の崇敬を集め、力の神、農耕や狩猟を守る神としても広く信仰されるようになりました。
日吉神社
本殿向かって左側、諏訪神社の隣に建つのが日吉神社です。朱塗りの小さなお社に、農工業や五穀豊穣の神、大山咋命(おおやまくいのみこと)が祀られています。大山咋命は豊作を司る大年神の御子で、須佐之男命の孫にあたる神様です。
名前の「くい」は、土地の境を示すために打つ杭を意味するといわれています。大きな山に杭を打つ神、すなわち山の所有者を表すことから、大山咋命は山の地主神と考えられてきました。あわせて、農耕や治水の神ともされます。『古事記』では山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)という別名を持ち、近江国(現在の滋賀県)の日枝山、のちの比叡山に鎮まる神と記されています。そのため全国の日吉神社や日枝神社の御祭神として広く信仰され、生田神社でも農工業や五穀豊穣、地域の繁栄を願う神として大切に祀られています。
本殿左側に鎮座する諏訪神社と日吉神社は、それぞれ力や武運、そして農耕や五穀豊穣を司る神々です。主祭神・稚日女尊とともに、生田神社の信仰を支える大切な境内社として、地域の平安と人々の暮らしを見守り続けています。
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