有名度
小結枚岡神社
ひらおかじんじゃ
大阪府東大阪市出雲井町7-16
天神地祇社
更新日:2026年8月31日
枚岡神社の御本殿南側から南の鳥居へと続く「感謝と祈りの道」。一言主神社、若宮神社、飛来天神社を過ぎ、南側の鳥居に近い場所に鎮座しているのが末社の天神地祇社(てんしんちぎしゃ)です。
天神地祇社には、明治初年まで枚岡神社の境内各所に鎮座していた19の末社と、氏子地域で祀られていた神社の神々が合祀されています。一つの神を祀る一言主神社や飛来天神社とは異なり、多くの神々を一つのお社に祀っていることが大きな特徴です。
境内にあった末社には、椿本社、青賢木社、太力辛雄社、勝手社、地主神、笠社、住吉社、飛来天神社、岩本社、一言主社、坂本社、素盞鳴命社、八王子社、戸隠社などがありました。かつての枚岡神社では、現在よりも多くの小社が境内の各所に点在し、それぞれの神が個別に祀られていたことがわかります。
これらは現在の東大阪市東部、生駒山西麓に広がる地域です。天神地祇社には枚岡神社の境内で祀られてきた神々だけでなく、周辺の村々で人々が信仰してきた神々も集められており、地域に受け継がれてきた信仰を現在に伝えるお社でもあります。
その後、平成から令和にかけて行われた枚岡神社の大造営を機に、一言主神社と飛来天神社が再興されました。令和3年(2021)にはそれぞれ独立した社殿で祀られるようになり、現在は天神地祇社と同じ「感謝と祈りの道」沿いに鎮座しています。
そのため、感謝と祈りの道を歩くと、かつて天神地祇社へ合祀された神々の一部が、再び個別のお社を持つようになった現在の境内の姿を見ることができます。
毎年3月25日には天神地祇社例祭が斎行されています。
境内19末社と氏子地域の神社を合祀した天神地祇社は、単なる一つの末社というより、明治時代以前の枚岡神社境内や周辺地域に存在した数多くの信仰を今に伝える場所です。現在は姿を消した末社や地域の神社がどのように枚岡神社へ受け継がれてきたのかを知ることができる、感謝と祈りの道の最後に参拝したいお社です。
境内に祀られていた末社を合祀
天神地祇とは、天上の神々である天津神と、地上に現れた神々である国津神を合わせた言葉で、広く天地の神々を意味します。天神地祇社には、明治初年まで枚岡神社の境内各所に鎮座していた19の末社と、氏子地域で祀られていた神社の神々が合祀されています。一つの神を祀る一言主神社や飛来天神社とは異なり、多くの神々を一つのお社に祀っていることが大きな特徴です。

氏子地域の神々も合祀
天神地祇社に祀られているのは、枚岡神社境内にあった末社の神々だけではありません。明治5年(1872)には、出雲井村、豊浦村、額田村、五条村、客坊村、四条村、松原村など、枚岡神社の氏子地域にあった神社の神々も合祀されました。これらは現在の東大阪市東部、生駒山西麓に広がる地域です。天神地祇社には枚岡神社の境内で祀られてきた神々だけでなく、周辺の村々で人々が信仰してきた神々も集められており、地域に受け継がれてきた信仰を現在に伝えるお社でもあります。
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一言主神社と飛来天神社は再び独立
天神地祇社へ合祀された神々のうち、一言主神と天之御中主神は、長くこのお社で祀られていました。その後、平成から令和にかけて行われた枚岡神社の大造営を機に、一言主神社と飛来天神社が再興されました。令和3年(2021)にはそれぞれ独立した社殿で祀られるようになり、現在は天神地祇社と同じ「感謝と祈りの道」沿いに鎮座しています。
そのため、感謝と祈りの道を歩くと、かつて天神地祇社へ合祀された神々の一部が、再び個別のお社を持つようになった現在の境内の姿を見ることができます。
現在の天神地祇社
天神地祇社は石段を上った場所に鎮座し、社殿は覆屋によって守られています。平成から令和にかけての大造営では、本殿と覆屋の修理も行われました。毎年3月25日には天神地祇社例祭が斎行されています。
境内19末社と氏子地域の神社を合祀した天神地祇社は、単なる一つの末社というより、明治時代以前の枚岡神社境内や周辺地域に存在した数多くの信仰を今に伝える場所です。現在は姿を消した末社や地域の神社がどのように枚岡神社へ受け継がれてきたのかを知ることができる、感謝と祈りの道の最後に参拝したいお社です。

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