有名度
小結枚岡神社
ひらおかじんじゃ
大阪府東大阪市出雲井町7-16
中門・透き塀・御本殿・御祭神・ご利益
更新日:2026年8月31日
中門・透き塀
拝殿の奥には中門があり、左右に延びる透き塀が御本殿を囲んでいます。中門と透き塀は明治12年(1879)に改築されたもので、境内の配置変更に伴い、明治38年(1905)に現在の場所へ移築されました。

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4棟が並ぶ枚岡造の御本殿
枚岡神社を代表する見どころの一つが、同じ形式の4棟が南北に並ぶ御本殿です。第一殿には天児屋根命、第二殿には比売御神、第三殿には経津主命、第四殿には武甕槌命が祀られ、それぞれの社殿に1柱ずつ御祭神が鎮座しています。本殿の建築形式は枚岡造、または王子造と呼ばれます。一間社春日造に似た形式で、正面に向拝を設け、屋根は檜皮葺きとしています。4棟の独立した本殿を横一列に並べることで、4柱の神々をそれぞれの社殿に祀る枚岡神社独特の社殿景観がつくられています。朱を基調とした建物には鮮やかな彩色が施され、中門・透き塀の奥に4棟が整然と並ぶ姿は壮麗です。

天正7年(1579)には織田信長による戦乱の影響を受け、境内の多くの建物が焼失しました。その後、慶長7年(1602)には豊臣秀頼によって社殿が造営されています。現在の本殿はさらに時代が下った江戸時代後期の造営ですが、焼失と再建を重ねながら祭祀が受け継がれてきた枚岡神社の歴史を現在に伝えています。

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御祭神と「元春日」
枚岡神社の御祭神は、天児屋根命、比売御神、経津主命、武甕槌命の4柱です。現在の4棟の本殿は、この4柱をそれぞれ1柱ずつ祀る構成となっています。枚岡神社の創祀当初から祀られていたと伝えられるのが、天児屋根命と比売御神です。天児屋根命は、天照大神が天岩戸に隠れた際、岩戸の前で祝詞を奏上した神として『古事記』や『日本書紀』の神話に登場します。祭祀や祝詞と深く関わることから、神事宗源の神とも称されています。比売御神は天児屋根命の后神として祀られる神です。
神護景雲2年(768)に春日大社が創建された際には、枚岡神社から天児屋根命と比売御神が春日へ勧請されたと伝えられています。このことから枚岡神社は「元春日」と称され、春日大社の成立と深いつながりを持つ神社として信仰されてきました。
そして宝亀9年(778)には、今度は春日から武甕槌命と経津主命を迎えました。もともと枚岡で祀られていた天児屋根命・比売御神が春日へ遷され、その春日から武甕槌命・経津主命を迎えたことで、現在につながる4柱の祭祀が成立したと伝えられています。
武甕槌命は鹿島神宮、経津主命は香取神宮の主祭神として知られる神です。国譲り神話では、天照大神ら高天原の神々の命を受けて大国主命のもとへ赴き、葦原中国を譲るよう求める重要な役割を果たしました。武神としても篤い信仰を集めています。
4棟の御本殿と4柱の御祭神は、こうした枚岡神社と春日大社との長い交流の歴史を目に見える形で伝えるものでもあります。

ご利益と「ことだま祈願」
4柱の神々を祀る枚岡神社では、開運招福、厄除け、金運、学業成就、病気平癒、縁結び、安産、交通安全など、幅広いご利益があるとされています。枚岡神社ならではの祈願として注目したいのが「ことだま祈願」です。神前で受ける一般的なご祈祷のほか、通信によって申し込むことができます。
ことだま祈願は、天児屋根命が天岩戸の前で祝詞を奏上し、天照大神が岩戸から出るきっかけをつくった神話にちなむものです。言葉に宿る霊的な力である「言霊」に願いを託す祈願で、祝詞や祭祀と深く関わる天児屋根命を祀る枚岡神社ならではのものです。

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