有名度
小結少彦名神社
すくなひこなじんじゃ
大阪府大阪市中央区道修町2-1-8
社務所・くすりの道修町資料館
更新日:2026年9月7日
金の虎が迎える社務所
少彦名神社の社務所は、境内入口の注連柱に向かって左隣にあるビルの1階にあります。現在の社務所ビルは昭和55年(1980)に建てられました。ビルの前には「神農さん 少彦名神社」と刻まれた社名碑が立ち、その上には少彦名神社のシンボルである金色の虎が鎮座しています。境内でも張り子の虎や虎をモチーフにしたものを数多く見ることができますが、社務所前の金の虎も見逃せないポイントです。
社務所では御札や御守などの授与が行われ、御朱印もこちらでいただけます。

社務所ビル3階の「くすりの道修町資料館」
社務所ビルの3階には「くすりの道修町資料館」があります。平成9年(1997)、「道修町に関する諸資料を町全体で保存し、公開しよう」という目的で開館した資料館です。「ここへ来れば道修町がわかる」をコンセプトとしており、薬の町・道修町の歴史を伝える資料を見ることができます。

大阪市指定有形文化財となっている「道修町文書」は、明暦4年(1658)から昭和19年(1944)までの薬種商組織に関する7,749点の文書群です。江戸時代の薬種商の組織や発展を伝える、全国的にも珍しい史料と評価されています。
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道修町が「薬の町」となった歴史
道修町を含む船場地域は、豊臣秀吉が大坂城三の丸を築城する際、町人や寺院を移転させて城下町として開発した地域です。道修町が薬の町となるきっかけは、寛永年間(1624~1644)に堺の商人・小西吉右衛門が道修町1丁目に薬種屋を開いたこととされています。
その後、享保7年(1722)、8代将軍徳川吉宗の時代に、道修町の薬種中買仲間124軒が株仲間として認められました。中国から輸入された唐薬種や日本国内で採れる和薬種を検査し、値段を付けて全国へ販売する特権が与えられ、道修町は薬種取引の中心地として発展していきました。
こうした薬種商たちの寄合所に、安永9年(1780)、京都の五條天神から少彦名命を迎えて祀ったことが少彦名神社の始まりです。資料館を見学すると、なぜこの場所に医薬の神を祀る少彦名神社が鎮座しているのか、その背景までよく分かります。

昔の薬や医学書も展示
館内には、道修町ゆかりの人物に関する資料をはじめ、昔の家庭薬や医薬品の販促品、江戸時代から近代にかけての医学・薬学関係資料などが展示されています。医学書では、曲直瀬道三の『道三師語録』、宇田川榕庵の『舎密開宗』、宇田川榛齋の『遠西醫方名物考』などを見ることができます。昔懐かしい家庭薬や販促品もあり、専門的な歴史資料だけでなく、身近な薬がどのように発展してきたのかを知ることができる資料館です。
展示物は季節によって変更されることがあります。

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