石碑 大盤石 | 大阪天満宮 - 神社ファン

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石碑 大盤石

更新日:2026年11月8日

日本一の力持ちが残した力石

蛭子門(西門)を入って左側、門柱の陰に大きな楕円形の石が置かれています。これが「大盤石(だいばんせき)」と呼ばれる力石です。表面は長い年月の風雨によって摩耗していますが、よく見ると「大盤石」の文字と「三ノ宮卯之助」の名を読み取ることができます。
大阪天満宮が発行する『天満てんじん』によれば、1840年(天保11年)に奉納されたもので、高島愼助氏の研究でも紹介されています。石には「天保十一」「子二月」「西石濱」「若中」などの文字も刻まれており、当時の地元の若者たちが奉納に関わったことがうかがえます。
大阪天満宮 大盤石
神社の境内や村の広場では、若者たちが力石を持ち上げて力を競い、成功した人の名前や石の重さを刻んで記念とすることもありました。力石には肩まで担ぎ上げるものや、指先などを使った特殊な持ち上げ方を競うものもあり、力自慢の人々による興行としても人気を集めました。
三ノ宮卯之助(1807~1854年)は、武蔵国三野宮村(現在の埼玉県越谷市三野宮)の出身で、江戸時代後期に「日本一の力持ち」と称された人物です。「三ノ宮」は出身地の三野宮村に由来する呼び名で、姓は向佐氏と伝えられています。
幼いころから小柄で体が弱かったものの、力競べで負けたことをきっかけに猛稽古を重ね、やがて江戸を代表する力持ちとして知られるようになったといいます。
卯之助は一座を率いて各地を巡業し、力石や米俵などの重量物を持ち上げる芸を披露しました。その名は当時の力持番付や興行の引札にも残されており、江戸だけでなく関西地方にまで活動の足跡が見られます。
出身地の越谷市にある久伊豆神社には、1831年(天保2年)に卯之助が持ち上げたと刻まれた五十貫目、約190kgの力石が残されています。また、三野宮香取神社には、実測で約520kgにもなる「大磐石」が保存されています。これらを含む市内の6個の力石は、2013年(平成25年)に越谷市指定有形文化財となりました。
卯之助の名が刻まれた力石は、埼玉県をはじめ、神奈川県、山梨県、長野県、大阪府、兵庫県など各地に残されています。2023年の調査資料では、亡失や所在不明のものを含めて39個が記録されており、広い地域で活躍したことがわかります。
大阪天満宮の大盤石も、卯之助の力持ち興行と江戸時代の庶民文化を伝える貴重な石です。門柱の陰にひっそりと置かれていますが、刻まれた名前や奉納年から、約180年前の力自慢たちの活躍を知ることができます。

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