蛭子遷殿・蛭子門 | 大阪天満宮 - 神社ファン

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大阪天満宮

おおさかてんまんぐう

大阪府北区天神橋2-1-8

蛭子遷殿・蛭子門

更新日:2026年4月17日

福の神「えべっさん」を祀るお社

明神社の隣に鎮座するのが、蛭子遷殿(えびすせんでん)です。木造のお社で、屋根は銅板葺、正面には唐破風と千鳥破風が設けられています。
御祭神の蛭児大神は、「えべっさん」の愛称で親しまれ、漁業や商いに携わる人々の守り神として信仰されてきました。蛭児大神は普段、本社の相殿に祀られていますが、例祭の1月10日にこのお社へ遷座され、十日戎祭が斎行されます。
大阪天満宮 蛭子遷殿
「えべっさん」と呼ばれる神様には、2つの系統があると言われています。1つは、伊邪那岐命・伊邪那美命の国生みで最初に生まれた「蛭子」をえびすとする説で、瀬戸内海地方を中心に広まっています。もう1つは、大国主神の子である「事代主命」をえびすとする説です。こちらは、日本海側に多く見られます。どちらも海との結びつきが深く、古くは海上や漁業の神様とされてきました。中世以降は、商売繁盛の神様としても広く信仰を集めています。大阪天満宮では古い資料に「蛭児」の表記が用いられており、蛭子系のえびすであることがわかります。

天満天神えびす祭の歴史

大阪天満宮におけるえびす信仰の最古の記録は、1680年(延宝8年)の『摂州西成郡南中島惣社天満宮略御縁起』です。この史料には、本殿に祀られる五柱のひとつとして「蛭児尊」の名が記されています。ただし、同じ時期の境内図には蛭子遷殿の建物は描かれておらず、当初は十日えびすのたびに仮の遷殿を設けて参拝に備えていたと伝わります。
江戸時代には正月・5月・9月の年三度にわたって十日えびすが行われていました。1798年(寛政10年)刊行の『摂津名所図会』には、蛭子祠に菅公自筆の画像が掲げられ、御神酒をお供えすると御顔が赤らんだという「神酒笑姿(みきえみす)」の言い伝えが記されています。
大阪天満宮 御神酒笑姿
この評判は大変な人気を呼び、1802年(享和2年)の正月十日には群衆が殺到して本社の大鈴の釣金がすり切れて落下し、子どもが怪我をする騒ぎも起きています。
明治以降、十日えびすは正月のみとなり、さらに昭和20年代後半には福笹や吉兆を授ける「神賑わい」が途絶え、神事のみが続けられる時代が長く続きました。この途絶えていた神賑わいを復活させたのが、天満天神えびす祭です。毎年1月9日の宵えびす、10日の本えびす、11日の残り福と、3日間にわたって蛭子遷殿を中心に執り行われています。
参拝者は華やかな装束に身を包んだ天満えびす招福娘から福笹や吉兆を授かることができ、新春の3日間は多くの人で賑わいます。

蛭子門

大阪天満宮には6つの門があり、それぞれに由来を持っています。蛭子門もそのひとつで、かつてこの門を入ってすぐ左手に蛭子遷殿が鎮座していたことから、「蛭子門」と呼ばれていました。年3度の十日えびすの際には、多くの参拝者がこの門を通って蛭子遷殿へ向かったと伝わります。
その後、蛭子遷殿は境内の北西に移されましたが、「蛭子門」の名は変わることなく現在も受け継がれています。
大阪天満宮 蛭子門

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