拝殿・本殿・御祭神 | 北野天満宮 - 神社ファン

有名度

横綱

北野天満宮

きたのてんまんぐう

京都府上京区馬喰町931

拝殿・本殿・御祭神

更新日:2025年5月8日

彫刻が素晴らしい拝殿

三光門を潜り、回廊で囲まれたところに、荘厳華麗な拝殿が見えます。拝殿の奥に本殿があり、拝殿の間を石の間と楽の間でつなぐ1棟となっている日本最古の八棟造(権現造)です。これらはまとめて1棟として国宝に指定されています。同じような建築様式には日光東照宮があります。
拝殿
建築様式だけでなく、絵様彫刻の素晴らしさも特徴です。蟇股(かえるまた)、欄間(らんま)、手挟(たばさみ)など各所に見事な彫刻が施されています。
拝殿の彫刻
中でも有名なものが、極彩色で彩られた天満宮の使者である立ち牛、厄除けの桃、麒麟や象・獏などの幻想上の動物などの彫刻です。
拝殿の立ち牛

国宝に指定されている荘厳華麗な本殿

本殿は何度も火災に遭い、その度に再建されていますが、現在の本殿は1607年(慶長12年)に楼門と共に、豊臣秀頼が造営したと言われています。
建物は総面積が500坪あり、屋根は入母屋造、正面千鳥破風付、向拝七間、 軒唐破風付、桧皮葺屋根です。
拝殿を含むこの豪華絢爛な本殿は、桃山時代を代表する歴史的重要建築物として、造営当時の姿を維持していることから、1897年(明治30年)、国宝に指定されてました。
本殿 横

学問の神様と天神信仰

北野天満宮のご祭神として有名な、学問の神様、天神様と菅原道真公は今でも親しまれています。
北野天満宮に祀られた由来は、幼少期から賢く、学者として活躍した後、政治家としての手腕も発揮して、899年(昌泰2年)に右大臣へと出世します。ところが出る杭は打たれるもので、901年(昌泰4年)に藤原氏の陰謀により昌泰の変で大宰府に左遷されてしまい、そのまま都に戻ることなく亡くなりました。
その後都では陰謀を画策した張本人の藤原時平、醍醐天皇の関係者などの不幸が相次ぎ、「菅原道真の祟り」と騒がれます。決定的だったのは、陰謀に関わったとされる朝廷要人に多く死傷者が出た「清涼殿落雷事件」です。これにより天神(雷神)が結びつけられ、道真の祟りを鎮めるために、北野天満宮が建立されました。
菅原道真公象
梅の花が御神紋となった理由は、菅原道真は梅の歌が多く詠んでいたことと、京都の邸宅にも梅の花が多く植えられていたためです。道真が太宰府天満宮に左遷された時にも、梅が後を追って一夜で咲いたと言う飛梅伝説もあります。
梅の花の御神紋は菅原道真公が祀られる天満宮が神紋として採用したことが始まりで、北野天満宮では星梅鉢紋が用いられています。同じ京都にある長岡天満宮でもこの紋が用いられています。天神信仰と共に、全国に広まっています。
星梅鉢紋の提燈

ご利益

北野天満宮のご利益は学問の神として「学問成就」が有名です。福岡の太宰府天満宮と北野天満宮は全国に広がる天満宮系の総本社として全国の受験生に信仰されています。また「厄除け」のご利益もあります。

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