有名度
小結白峯神宮
しらみねじんぐう
京都府京都市上京区今出川通堀川東入飛鳥井町261
崇徳天皇欽仰之碑
更新日:2026年7月5日
崇徳天皇を敬い、その御霊を慰める碑
拝殿の東側、地主社の隣に広がる「浄心の庭」の中に建つのが、「崇徳天皇欽仰之碑(すとくてんのうきんぎょうのひ)」です。浄心の庭は、苔と石で静かな景観を表現した枯山水庭園で、崇徳天皇欽仰之碑と、白峯神宮創建150年を記念した歌碑が建てられています。落ち着いた雰囲気の中で、崇徳天皇の歴史に思いを巡らせることができる場所です。
崇徳天皇欽仰之碑は、保元の乱に敗れて讃岐へ配流された崇徳天皇を敬い、その御霊を慰めるために建立された碑です。白峯神宮そのものも、明治天皇の勅命により、崇徳天皇と淳仁天皇の御霊を京都へ迎えて創建された神宮であり、この碑はその歴史を象徴しています。
崇徳天皇は配流先の讃岐で崩御した後、日本三大怨霊の一人として語られるようになりました。朝廷や武家に相次いだ災厄は崇徳天皇の怨霊によるものという伝承も広まり、長い間、人々の畏敬の対象となってきました。
明治維新後の1868年(慶応4年)、新政府は崇徳天皇の御霊を京都へ迎え、明治天皇自ら白峯神宮へ行幸して祭祀を執り行いました。これは歴代天皇への尊崇を示すとともに、新しい時代の始まりを象徴する重要な出来事でもありました。その後、同年9月には元号が「明治」へ改められています。
浄心の庭には、崇徳天皇の代表歌として百人一首にも選ばれた
瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の
われても末に あはむとぞ思ふ
を刻んだ歌碑も建っています。この歌は『久安百首』に収められた和歌で、「急流が岩によって二つに分かれても、やがて再び一つになるように、今は離れていてもいつか必ず再び逢いたい」という切ない恋心を詠んだ名歌です。
白峯神宮は球技の神様として知られていますが、その根底には崇徳天皇を敬い、その御霊を慰めるという創建の歴史があります。浄心の庭と崇徳天皇欽仰之碑は、その由緒を静かに今へ伝える白峯神宮を代表する見どころの一つです。

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