黒門 | 愛宕神社 - 神社ファン

有名度

大関

愛宕神社

あたごじんじゃ

京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1

黒門

更新日:2025年7月8日

白雲寺時代の惣門

表参道を進み、ハナ売場を通り過ぎると黒門にたどり着きます。その名の通り黒色の美しい高麗門で、屋根は銅板葺、頭上には注連縄が張られています。
神仏習合時代、愛宕神社は白雲寺として知られており、この門は京都側からの正門でした。別名「京口惣門(きょうぐちそうもん)」と呼ばれていたと伝わります。門をくぐると寺の境内となり、福寿院、威徳院、長床坊、大善院、教学院、宝蔵院の6つの宿坊が建ち並んでいました。
黒門Mass Ave 975(Wikipedia CC 表示-継承 3.0)
かつて愛宕山は、神宮寺である白雲寺が実権を握る神仏習合の山でした。戦国時代にかけては、勝軍(しょうぐん)地蔵を本地仏としており、戦に勝つための軍神として信仰されてきた歴史を持ちます。
明智光秀は、本能寺の変の直前にくじを3回引き、織田信長を攻めるかどうか占ったと言われています。その翌日の連歌の会(愛宕百韻)で詠んだ歌「時は今 あめが下しる 五月哉」は大変有名です。
その後、1868年の神仏分離令により白雲寺は取り壊され、愛宕神社へと改められました。現在の黒門は、境内に残る白雲寺時代の貴重な遺構のひとつです。なお、京都側の京口惣門に対し、丹波側にも門が設けられていましたが、現在では廃材が残るのみとなっています。

鴻池家から寄進された石灯籠

黒門付近の石段にご注目ください。「摂州大坂住人 山中氏之宗 同氏宗利」と刻まれた石柱が石段の一部に使用されています。この石柱に刻まれている山中氏は、戦国時代の武将「山中幸盛(鹿介)」を祖とする「鴻池(こうのいけ)家」のことです。江戸時代における日本最大の財閥であり、大坂両替商の中心的商人として知られています。「之宗」は2代鴻池善右衛門、「宗利」は3代鴻池善右衛門を指すと考えられます。
石段にある鴻池家から寄進された石灯籠
2代目の之宗は信心深い性格で、京都の愛宕神社へ何度も参拝したと伝わります。また、黒門を通り過ぎた先の参道沿いには、之宗が3代目宗利と連名で寄進したとされる50数基の石灯籠を見ることができます。

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