有名度
関脇日吉大社
ひよしたいしゃ
滋賀県大津市坂本5-1-1
東本宮(二宮)
更新日:2026年6月22日
比叡山の地主神・大山咋神を祀る宮
東本宮は、「二宮」の名でも親しまれている宮です。御祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)は、比叡山の地主神として古くから祀られている神様で、「山末之大主神」「小比叡神」「二宮権現」などの別名でも知られています。日吉大社の中心をなす二つの本宮のひとつであり、西本宮と並んで古くから篤い信仰を集めてきました。
拝殿
本殿の前に建つ拝殿は、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入り、檜皮葺の建物です。方三間の正方形で、四方が吹放しになっています。廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井です。屋根の妻飾りには、木連格子が用いられています。天井の格縁の一本には「文禄5年3月吉」の墨書が残されており、1596年(文禄5年)頃に建てられたものと考えられています。1964年(昭和39年)には、国の重要文化財に指定されました。

本殿
本殿は、桁行五間、梁間三間、檜皮葺の建物です。西本宮本殿と同じく、全国でも日吉大社にしか見られない「日吉造」または「聖帝造」と呼ばれる様式で建てられています。三間二間の身舎の正面と両側面に廂がめぐらされ、背面にだけ廂がない造りです。西本宮本殿とほぼ同じ造りですが、背面の三間の床が一段高くなっているのが東本宮本殿の特徴となっています。1595年(文禄4年)、西本宮本殿に続いて再建され、1961年(昭和36年)4月には国宝に指定されました。

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御祭神・ご利益
大山咋神は、御神名の「クイ」に山の樹木や田畑の五穀を育てる意味があるとされており、五穀豊穣の神様として信仰されてきました。また、比叡山の地主神として家内安全や厄除けの御神徳でも知られ、古くから多くの人々の崇敬を集めています。廃仏毀釈のはじまりの地
明治時代に全国へ広がった廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)は、日吉大社の東本宮から始まったとされています。延暦寺の守護神として祀られてきた日吉大社は、神仏習合・本地垂迹のもとで歩んできた歴史を持ち、仏教との結びつきがとりわけ深い神社でした。山王七社の本殿の床下には下殿(げでん)と呼ばれる祭祀の場が設けられ、かつてはここに仏像を安置し、仏事が営まれていたと伝わります。日吉大社を「ひえたいしゃ」と読むことがあるのも、延暦寺のある比叡山に由来するもので、ここにも神と仏がともに信仰されてきた名残を見ることができます。日吉社では、長らく延暦寺の僧が上に立ち、神職はその下に置かれていました。その関係が、1868年(慶応4年)に神仏判然令(しんぶつはんぜんれい)が出されたことで逆転します。社司の樹下茂国らが神殿へ押し入り、安置されていた仏像や仏具、経典の多くが焼かれ、持ち去られたと伝わります。こうして、長く神と仏をともに祀ってきた日吉大社から、仏教の色は急速に失われていきました。
現在の境内に残る祇園石や大威徳石、おたすけ地蔵、しんぼう地蔵などは、神仏習合時代の面影を今に伝える貴重な存在となっています。

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