時の祖神 天智天皇と漏刻・轟太鼓 | 近江神宮 - 神社ファン

有名度

関脇

近江神宮

おうみじんぐう

滋賀県大津市神宮町1-1

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時の祖神 天智天皇と漏刻・轟太鼓

更新日:2026年10月4日

日本の時刻制度の始まりと天智天皇

近江神宮の御祭神・天智天皇は、日本で時刻制度を整えた天皇として「時の祖神」と崇敬されています。
『日本書紀』には、天智天皇10年(671)4月25日、大津宮に漏刻を設け、鐘や太鼓を鳴らして人々に時を知らせたことが記されています。漏刻とは、水が一定の速さで流れる性質を利用して時間を測る水時計です。
天智天皇は皇太子時代の斉明天皇6年(660)にも漏刻を造ったと記されており、その後、大津宮で時報を行ったことが記録されています。近江神宮では、この天智天皇の事績から「時計の祖」「時の祖神」として信仰されています。
現在では時計を見れば誰もが同じ時刻を知ることができますが、古代に一定の基準で時間を測り、その時刻を音によって人々へ知らせる仕組みを整えたことは、日本の「時」の歴史を考えるうえで重要な出来事でした。
近江神宮 境内の時計

天智天皇の時代の「漏刻」を再現

境内で特に見ておきたいのが、漏刻です。
漏刻とは水時計のことで、水が一定の速さで流れる性質を利用して時間を測ります。近江神宮には、天智天皇の時代に使われた漏刻を考証して再現したものが設置されています。天智天皇10年(671)、大津宮に漏刻が設けられ、鐘や太鼓によって時が知らされました。
近江神宮 漏刻
重要なのは、漏刻が単に「水で時間を測る珍しい道具」だったわけではないことです。太陽の動きや明るさだけに頼るのではなく、一定の基準によって時間を測り、それを時報として人々に知らせる仕組みが整えられていきました。
当時の時刻制度では、1昼夜を12の辰刻に分け、さらに1辰刻を4刻に分ける方法が用いられました。近江神宮の解説では、天智天皇の時代に大津宮で始められた時報について、季節によって時刻の長さが変わらない定時法による時刻制度の開始を示すものとする研究が紹介されています。
その後、漏刻は奈良時代に太宰府や多賀城、各国府などにも置かれ、平安時代末頃まで使用されていたことが文献から確認されています。
現在では当たり前となっている「共通の時刻を基準に社会が動く」という仕組み。その日本における長い歴史を実感できる場所が、近江神宮の漏刻です。
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6月10日の「時の記念日」

毎年6月10日は「時の記念日」です。
その由来となったのが、『日本書紀』に記された天智天皇10年(671)4月25日の時報の記事です。この日を現在の太陽暦に換算すると6月10日にあたることから、1920(大正9)年に「時の記念日」が制定されました。
制定当時は、時間を正確に守り、時間を有効に使う生活を広めることも目的とされていました。
約1350年前の大津宮で始まった時報の歴史が、現在の「時の記念日」へとつながっています。

時の記念日に斎行される「漏刻祭」

近江神宮では毎年6月10日、天智天皇の事績を称える「漏刻祭」が斎行されます。
時計関係者などが参列し、時の祖神である天智天皇に感謝を捧げるとともに、時計業界の発展などを祈願する近江神宮を代表する祭典のひとつです。
祭典では時計業界から新製品が奉納されるほか、時計に関係するさまざまな行事も行われます。
古代の漏刻による時報を起点として、現代の時計文化に携わる人々までが「時」を通して天智天皇と結ばれていることを感じられる祭典です。
近江神宮 漏刻祭イメージ

現代の近江神宮で時を告げる「轟太鼓」

外拝殿には、ひときわ目を引く巨大な「轟太鼓」が置かれています。
轟太鼓は昭和天皇御在位50年を奉祝して奉納された大太鼓で、1977(昭和52)年4月29日に奉納式が行われました。差渡5尺余、重量150貫に及ぶ大きな太鼓です。
現在も毎朝夕に打ち鳴らされ、近江神宮に時を告げています。
この轟太鼓は、御祭神・天智天皇と「時」との関係を考えるうえでも興味深い存在です。『日本書紀』に記された天智天皇の時代には、漏刻によって測った時刻を鐘や太鼓の音で人々に知らせました。それから約1350年を経た現在の近江神宮でも、太鼓の音が境内に時を告げています。
近江神宮 轟太鼓
境内に再現された漏刻が古代の「時を測る」仕組みを伝えるものなら、轟太鼓は「時を音で知らせる」という役割を現在に伝える存在と見ることができます。
漏刻と轟太鼓をあわせて見ることで、天智天皇が大津宮で始めた時報と、現代の近江神宮をつなぐ「時」の歴史をより身近に感じることができます。

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