境内を彩る歌碑・句碑 | 近江神宮 - 神社ファン

有名度

関脇

近江神宮

おうみじんぐう

滋賀県大津市神宮町1-1

😞 🙁 😐 🙂 😄

境内を彩る歌碑・句碑

更新日:2026年10月4日

境内を彩る歌碑・句碑

近江神宮の境内には、天智天皇の御製をはじめ、弘文天皇の漢詩、万葉集に歌を残した柿本人麻呂や高市黒人、俳聖・松尾芭蕉、さらに近代・現代の歌人や俳人による歌碑・句碑が点在しています。
御祭神・天智天皇は小倉百人一首第一首の歌人として知られ、近江神宮は競技かるたの聖地としても有名です。一方、境内に残る歌碑や句碑を巡ると、百人一首だけにとどまらない近江神宮と文学との深いつながりを見ることができます。
近江神宮 歌碑・句稗
天智天皇御製碑
「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」

小倉百人一首の第一首として広く知られる、近江神宮の御祭神・天智天皇の御製です。
秋の田のそばに設けられた仮小屋で、屋根を覆う苫の編み目が粗いため、隙間から落ちる露に衣の袖が濡れていく情景が詠まれています。
近江神宮と百人一首とのつながりを象徴する歌で、歌碑は1981(昭和56)年に建立されました。青谷仁三郎氏が奉納し、近江神宮第2代宮司・横井時常氏が揮毫しています。
近江神宮 天智天皇御製碑
松尾芭蕉句碑
「から崎の 松は花より 朧にて」

松尾芭蕉が琵琶湖畔の唐崎を詠んだ名句です。
春の夜、月の光のなかにぼんやりと浮かぶ唐崎の松。その姿は桜の花以上に朧で趣深いという、近江の春景色が表現されています。
唐崎は近江八景のひとつ「唐崎の夜雨」でも知られる琵琶湖西岸の景勝地です。
句碑は句誌『正風』100号を記念して1957(昭和32)年に建立されました。近江神宮にある文学碑のなかでも早い時期に建てられたものです。
近江神宮 松尾芭蕉句碑
弘文天皇御製漢詩「吟友の碑」
「皇明日月と光り 帝徳天地に載す 三才並に泰昌 万国臣義を表す」

天智天皇の皇子・大友皇子、のちに弘文天皇と追号された皇子の漢詩を刻んだ「吟友の碑」です。
大友皇子は父・天智天皇を支えて近江朝廷の中枢を担いましたが、天智天皇崩御後の672年に起きた壬申の乱で大海人皇子と争い、敗れて生涯を閉じました。
碑は滋賀県詩吟連盟湖南地区連合会によって1969(昭和44)年に建立され、近江神宮第2代宮司・横井時常氏が揮毫しています。
近江神宮 弘文天皇御製漢詩「吟友の碑」
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高市黒人歌碑
「楽浪乃国都美神乃浦佐備而荒有京見者悲毛」
「楽浪の 国つ御神の 心さびて 荒れたる京 見れば悲しも」

万葉歌人・高市黒人が、近江大津宮の跡を訪れて詠んだ歌です。
天智天皇によって築かれた近江大津宮は、壬申の乱を経て都としての役割を終えました。荒れてしまった旧都を目の前にした作者の悲しみが伝わってきます。
2008(平成20)年に淡海万葉の会によって建立され、藤井五郎氏が揮毫しました。柿本人麻呂の歌とともに、天智天皇の時代が過ぎ去った後の近江大津宮を伝える万葉歌として見ることができます。
近江神宮 高市黒人歌碑
柿本人麻呂歌碑
「淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思努爾古所念」

『万葉集』を代表する歌人・柿本人麻呂が、近江の旧都を訪れた際に詠んだ歌です。
琵琶湖の夕波の上で千鳥が鳴く声を聞き、かつてこの地に存在した近江大津宮の時代を偲ぶ心情が詠み込まれています。
歌碑は1978(昭和53)年秋に建立されました。境内のほかの歌碑から少し離れた、近江時計眼鏡宝飾専門学校前にあります。
近江神宮 柿本人麻呂歌碑
保田與重郎歌碑
「さざなみの しがの山路の 春にまよひ ひとり眺めし 花盛りかな」

奈良県出身の文芸評論家・保田與重郎が、近江の春を詠んだ歌です。
古くから歌に詠まれてきた「さざなみの志賀」を舞台に、春の山路へ迷い込み、ひとり満開の花を眺める情景が表現されています。
歌碑は1984(昭和59)年に新学社によって建立されました。副碑の撰文は、保田與重郎と親交のあった作家・中谷孝雄によるものです。
近江神宮 保田與重郎歌碑
春日真木子歌碑
「人間の 智恵のはじめよ ひそひそと 秘色の水に 刻まあたらし」

歌人・春日真木子が、近江神宮の漏刻に接して詠んだ一首です。
水によって時を刻むという古人の知恵に感銘を受け、水と時間の連続性、永遠性へと思いを巡らせています。
近江神宮の御祭神・天智天皇は、漏刻によって時を知らせたことから「時の祖神」として崇敬されています。境内に漏刻が置かれる近江神宮だからこそ、その意味をより深く感じることのできる歌です。
歌碑は2007(平成19)年10月6日に除幕されました。
近江神宮 春日真木子歌碑
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香川進・山村金三郎歌碑
香川進の歌碑には、

「湖ほとに息づき比そめと波はいひは留けく可奈志と波はまたいふ」

山村金三郎の歌碑には、

「湖に 音なき音を 韻かせて 比良ゆ流るる 夕茜雲」

と刻まれています。
いずれも琵琶湖を題材とした歌で、二つの碑は短歌団体「地中海」の歌玉垣の中心に並んでいます。
山村金三郎の歌では、琵琶湖の静けさのなかに「音なき音」を感じ取り、比良山地から流れてくるような夕焼け雲を描いています。
1995(平成7)年に建立された二つの歌碑は、古代の近江を詠んだ万葉歌とはまた異なる、現代の歌人が見つめた琵琶湖の姿を伝えています。
近江神宮 香川進・山村金三郎歌碑
48首の短歌が並ぶ歌玉垣
香川進と山村金三郎の歌碑を取り囲むように、境内には多数の石柱が並んでいます。
一見すると神域を囲む一般的な玉垣のように見えますが、よく見ると一本一本の石柱に短歌が刻まれています。これは、香川進・山村金三郎と同門の歌人たちによる48基の歌碑を玉垣のように配置した「歌玉垣」です。
歌玉垣は近江神宮御鎮座50年記念事業として奉納されたもので、中央に香川進と山村金三郎の一対の歌碑、その周囲に48基の石柱が並ぶ特徴的な構成となっています。
通常の歌碑は一つの石に一首を刻んで独立して建てられることが多いのに対し、ここでは数多くの歌を刻んだ石柱そのものが玉垣を形づくっています。
遠くから眺めるだけでは普通の石造りの玉垣にも見えますが、近づいて一基ずつ見ていくと、それぞれに異なる歌が刻まれていることが分かります。
天智天皇の御製や万葉歌、芭蕉の句など数多くの文学碑が残る近江神宮のなかでも、48首もの短歌が一つの空間をつくり上げている歌玉垣は、特に珍しく印象的な見どころです。
近江神宮 48首の短歌が並ぶ歌玉垣
伊藤香舟女句碑
「楼門に 湖脈打てる 望の月」

俳人・伊藤香舟女が、近江神宮の楼門と琵琶湖、満月を重ねて詠んだ句です。
朱塗りの楼門の向こうに広がる琵琶湖の存在を「湖脈打てる」と表現し、満月の夜の近江神宮を印象的に描いています。
句碑は柊句会によって1990(平成2)年に建立されました。現在も見ることのできる近江神宮の楼門そのものが句に詠み込まれている点にも注目です。
近江神宮 伊藤香舟女句碑
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桂樟蹊子句碑
「漏刻の 音とこしへに 初日影」

水によって時を刻む漏刻と元日の初日の光を組み合わせ、「時」が絶えることなく続いていく情景を表現しています。
近江神宮の御祭神・天智天皇が「時の祖神」として崇敬されていることを背景にした句で、時計や漏刻を大きな特色とする近江神宮らしい句碑です。
1979(昭和54)年、滋賀馬酔木会によって建立されました。
近江神宮 桂樟蹊子句碑
初代宮司・平田貫一歌碑
「比叡ヶ嶺に 近く琵琶湖を 目下に 大神の辺に 永世住まなむ」

近江神宮初代宮司・平田貫一(号・一翁)が詠んだ歌です。
比叡山を近くに望み、眼下には琵琶湖が広がる近江神宮。その御祭神のそばで永く暮らしたいという、近江神宮への思いが込められています。
歌碑は初代宮司を記念して1968(昭和43)年2月に社務所前へ建立されました。
古代や近江の風景を詠んだ歌だけでなく、近江神宮の創建後、その歴史を支えた人物の歌が残されているのも境内の歌碑の特徴です。
近江神宮 初代宮司・平田貫一歌碑
第2代宮司・横井時常歌碑
「歳神は 今帰らすか 左義長の 青竹はぜて 高く燃え立つ」

近江神宮第2代宮司・横井時常が詠んだ歌です。
正月の火祭りである左義長で、青竹が音を立てながら高く燃え上がる光景と、歳神を送る情景が詠み込まれています。
宮中歌会始の御題「祭り」の預選歌となった作品で、歌碑は1980(昭和55)年5月5日に建立されました。
天智天皇御製の歌碑を揮毫した人物でもあり、境内では横井時常の書と自身の歌の双方を見ることができます。
近江神宮 第2代宮司・横井時常歌碑

古代から現代へ続く近江と文学

近江神宮の歌碑・句碑を巡ると、そこに刻まれているのは単なる文学作品の集合ではないことが分かります。
御祭神・天智天皇の御製から始まり、その皇子である弘文天皇、失われた近江大津宮を偲んだ柿本人麻呂と高市黒人、琵琶湖の景色を詠んだ松尾芭蕉、さらに近代・現代の歌人や俳人、近江神宮の歴代宮司へと時代がつながっています。
とりわけ多くの歌や句に登場するのが、琵琶湖、比良山、志賀、漏刻、楼門といった近江ならではの風景や近江神宮を象徴するものです。
一つひとつの碑と、その碑に刻まれた言葉を写真とともに見ていくことで、天智天皇の時代から現代まで人々がこの地をどのように見つめてきたのかをたどることができます。

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