有名度
関脇近江神宮
おうみじんぐう
滋賀県大津市神宮町1-1
栖松遥拝殿
更新日:2026年10月4日
有栖川宮と高松宮の祭祀を受け継ぐ御霊殿
近江神宮の境内に建つ栖松遥拝殿(せいしょうようはいでん)は、皇室ゆかりの歴史を持つ建物です。現在は皇霊祭遥拝式などが行われていますが、もとは東京の高松宮邸内に祀られていた御霊殿でした。高松宮宣仁親王は大正天皇の第三皇子で、大正天皇の聖旨によって有栖川宮家の祭祀を継承しました。有栖川宮家は江戸時代初期から続いた宮家でしたが、1913(大正2)年に威仁親王が薨去。その後、有栖川宮家の由緒や祭祀は高松宮家へと受け継がれることになります。
高松宮邸内に設けられた御霊殿は、こうした有栖川宮家から継承した祭祀を行うための大切な場所でした。現在の栖松遥拝殿は、もともと神社の境内施設として造られたものではなく、宮家の祭祀に用いられていた建物なのです。

高松宮宣仁親王と近江神宮の深い縁
この御霊殿が近江神宮へ遷された背景には、高松宮宣仁親王と近江神宮との深い関係があります。近江神宮創建に向けて1938(昭和13)年に近江神宮奉賛会が設立されると、高松宮宣仁親王が総裁に就任し、近衛文麿公が会長を務めました。高松宮宣仁親王は造営中の境内を視察し、1940(昭和15)年の鎮座後もたびたび近江神宮を参拝しています。近江神宮の創建当初から深い縁を持つ皇族のひとりでした。
1987(昭和62)年に高松宮宣仁親王、2004(平成16)年に宣仁親王妃喜久子殿下が薨去した後、高松宮邸にあった御霊殿は、ゆかりの深い近江神宮へと遷されました。

「栖松」の名に残る二つの宮家
「栖松遥拝殿」という特徴的な名称にも、この建物が歩んできた歴史が込められています。「栖松」の名は、有栖川宮の「栖」と高松宮の「松」の一字ずつを拝戴して名付けられたもの。有栖川宮から高松宮へと受け継がれた祭祀の歴史を、現在の名称にも残しています。
近江神宮には1940(昭和15)年の創建にあわせて造営された社殿が数多く残されていますが、栖松遥拝殿はそれらとは異なり、宮家の邸内で実際に祭祀の場として使われていた建物が移されたものです。
有栖川宮から高松宮へ、さらに高松宮家から近江神宮へ――。一つの建物が受け継いできた皇室祭祀の歴史と、高松宮宣仁親王と近江神宮との深い縁を現在に伝える、境内でも特別な来歴を持つ見どころです。

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