結城神社 三重県 - 神社ファン

有名度

前頭上位

結城神社

ゆうきじんじゃ

三重県津市藤方2341

😞 🙁 😐 🙂 😄

三重県津市藤方2341

拝殿

houzyouhideyosi(wikipedia CC 表示 3.0)

かんたんご利益

  • 健康
結城神社には

「健康系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

諸病平癒

御祭神

主祭神

結城宗廣朝臣 ゆうきむねひろあそん

配祀

結城親光朝臣以下殉難戦歿将士 ゆうきちかみついかじゅんなんせんぼつしょうし

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
他に 「不明(1柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

結城神社は三重県津市に鎮座する神社。御祭神は結城宗廣朝臣、結城親光朝臣以下殉難戦歿将士の2柱をまつる。
社格は旧別格官幣社、現在は別表神社。
結城宗廣は後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕運動に参加し、元弘3年(1333)の幕府滅亡後も後醍醐天皇に仕えた。建武政権成立後は北畠顕家らとともに奥州で活動し、足利尊氏と後醍醐天皇方が対立すると南朝方として戦った。北畠顕家に従って陸奥から京都方面へ進軍するなど、各地を転戦した。
延元3年(1338)、結城宗廣は北畠親房らとともに伊勢から船で奥州へ向かったが、航海中に暴風雨に遭い、伊勢国へ漂着した。その後、宗廣は当地で没したと伝えられている。宗廣の墓と伝わる場所には塚が築かれ、その上に6体の地蔵が置かれて結城塚と呼ばれた。周辺は結城の森とも称され、地元の人々は宗廣を結城明神と呼び、墓のそばに小祠を建てて祀った。結城神社の創立年代は明らかでないが、この小祠での奉斎が始まりとされる。
文政7年(1824)、津藩主の藤堂高兌が社殿を造営した。明治12年(1879)には村社に列し、明治13年(1880)、三重県を巡幸した明治天皇から祭祀料200円が寄付された。その後、社殿の改築と社格昇格が進められ、明治15年(1882)に別格官幣社へ列せられた。
昭和12年(1937)5月には結城宗廣六百年祭が行われ、昭和天皇から祭粢料が下賜された。昭和20年(1945)7月には津大空襲によって社殿を焼失したが、戦後に復興が進められ、昭和30年代に社殿が再建された。
結城神社には、南北朝時代の史料である「紙本墨書結城神社文書」46通が伝来する。後醍醐天皇の綸旨などを含み、昭和28年(1953)5月7日に三重県指定文化財となった。
境内には結城宗廣の墓と伝わる墓所がある。また、神苑には約300本のしだれ梅が植えられ、毎年2月から3月に梅苑が開かれる。例祭は5月1日に行われる。
  • 別表神社
  • 別格官幣社
スポンサーリンク

神社詳細

摂末社・境内社

末社 多藝神社・留魂社
北畠具行卿
北畠満雅卿
北畠具教卿
北畠一族並に家臣、郎党、農民の戦死者
境内社 地主社
結城医王大明神

例祭

例祭 5月1日・2日・3日

文化財

紙本墨書結城神社文書
三重県 指定文化財
書跡・典籍・古文書 昭和28年5月7日指定

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%9F%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
三重県
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/bunkazai/da/
三重県神社庁
https://www.mie-jinjachou.page/
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年