結城宗広
ゆうきむねひろ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし
祭神ランキング1527位
- 武人
鎌倉~南北朝 [1266年~1339年]
結城宗広とは?
結城宗広(1266-1339)は鎌倉時代~南北朝時代の人物。結城祐弘の子、結城親朝、親光らの親。陸奥国南部の白河地方(福島県福島市)を治めた白河結城家に生まれる。元々は鎌倉幕府に仕え、陸奥国南部の政務にあたっていたが、後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕の綸旨を受け、後醍醐天皇側につく。戦功が認められた北畠顕家に伴って、奥州の統治にあたる。足利尊氏からの京都奪還では大きな功績を挙げ、宝刀である鬼丸を授かる。尊氏が力を盛り返し、再び戦となり、顕家が戦死。宗広もなんとか一命を取り留める。海上より奥州に戻り、体勢を立て直そうとしたが、遭難。またもや一命は取り留め漂着するも、病気になり、光明寺(三重県伊勢市)で亡くなった。漂着した地や没した地に関しては諸説あるが、光明寺という説が有力である。 結城宗広は、結城神社(三重県津市)や多賀城神社(宮城県多賀城市)に祀られている。結城神社は、宗広が没した地に建てられた墓所が結城塚と呼ばれ、その後神社となった。多賀城神社は、南朝の拠点となった多賀城政庁跡に建てられ、後村上天皇をはじめ、北畠顕家ら南朝の忠臣も祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
結城神社
(三重県津市藤方2341)
